【秘密結社の謎】外国人墓地 ライカ北紀行 —函館— 第47回

歴史

西野 鷹志 【Profile】

166年まえ、1854(嘉永7)年。ペリーが箱館に来航したとき、水兵ふたりがこの異郷の地で病死した。葬られたのは、函館山のふもとの高台。これが外国人墓地の始まりであった。

41人が眠るプロテスタント墓地に、奇妙なシンボルが刻まれた碑がある。これがフリーメイソンの証し。石工の道具であるコンパスと直角定規が交錯している。コンパスは真理、直角定規は道徳をあらわす。中世の石工のギルドに起源があり、18世紀初め英国で結成された。

右が汽船船長のキルゴア(39歳)、左は汽船機関長トッド(42歳)の墓石
右が汽船船長のキルゴア(39歳)、左は汽船機関長トッド(42歳)の墓石

会員は合言葉などで認めあい、入会儀礼も非公開で、中産階級、ことに知識人が多かった。宗教には寛容だが、反動政治には自由を主張したため、カソリック教会や政府の弾圧を受けて、地下にもぐり秘密結社となったこともあった。モーツァルトもその一員で、オペラ「魔笛」のストーリーは、結社の入会儀礼にならったとか。

函館の墓地には、フリーメイソンの墓が4つある。汽船船長のキルゴアと汽船機関長のトッド、ブラキストン商会の相棒であるマアとスコット、いずれも英国人である。

ジェイムズ・スコット翁(88歳)。コンパスと定規に囲まれた「G」は神、栄光を表す
ジェイムズ・スコット翁(88歳)。コンパスと定規に囲まれた「G」は神、栄光を表す

半世紀もの長い間当地に居住し、88歳で亡くなったジェームス・スコット翁。スコットランドに生まれ、砲兵大尉のブラキストンと出あい、製材の機械技師として沿海州のアムール川、さらに箱館へわたり製材工場を開いた。港内で官軍と旧幕府軍が大砲を打ち合う五稜郭戦争を目撃したが、のちに倉庫業をいとなみ、1925(大正14)年、天寿を全うしている。

当時、フリーメイソンの会員は、結社の一員たることを生前、肉親といえども漏らすことはご法度であった。墓碑には、どうしてそのシンボルが堂々と刻印されているのか。謎である。

墓地から夕陽 望郷(2019)
墓地から夕陽 望郷(2019)

●道案内
外国人墓地 市電「函館どつく前」下車、徒歩15分(地図へ

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    西野 鷹志NISHINO Takashi経歴・執筆一覧を見る

    1941年東京生まれ。エッセイスト・写真家。函館中部高校を経て慶応義塾大学経済学部卒。30代半ばで郷里に戻り、函館山ロープウェイを経営する傍ら、日本初のコミュニティFM放送「FMいるか」を創設。北海道教育委員や女子高の理事長、函館のタウン誌「街」の発行人もつとめるなどその活躍は多彩。愛用のカメラ、ライカを肩に北の港街をモノクロで撮り続けて30年。『ウイスキー・ボンボン』『風のcafé 函館の時間』など多くの著書がある。

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