【高田屋の松と茶碗】 ライカ北紀行 —函館— 第45回
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9年まえ(2011)、高田屋嘉兵衛(1769-1827)を初代とする高田屋七代目・嘉七さんは、自宅の階段からころげ落ちて急逝した。
嘉兵衛の尽力で幕府から解放された海軍士官ゴローニンの孫などとの日露交流、さらに代々伝わる遺品や古文書をもとに函館・北方歴史資料館を開設する精力的な活動で知られた。まことに残念な思いだ。
目のまえには、生前、嘉七さんが取り出してくれた茶碗があった。あちこち金継ぎされている。嘉兵衛遺愛の赤樂茶碗。箱書きによれば、いつも番茶を飲むのに使っていた。商売さかんとなっても綿服、番茶しか飲まず、一汁一菜の粗衣粗食を生涯とおしたと言われる。この茶碗は、無言のうちに、嘉兵衛の生きざまを表している。
地元の豪商や市民が寄付、労働奉仕して、1879(明治12)年、洋式の函館公園は函館山のふもとに築かれた。日本で最も早いころに造られた都市公園の一つで140年あまりの伝統を誇る。
その公園の入口に、高田屋二代目・金兵衛の庭園にあった松が移植されている。枝ぶりの良さから江戸のころから生き抜いた風格を感じさせる一本のクロマツ。「高田屋の松」または「鶴亀の松」とよばれ、樹高5メートル、推定樹齢200年ほどで当時の隆盛ぶりをしのぶに足る古木である。
嘉七さんが笑ってぽつりともらした言葉が今も僕の頭にある。「名高い先祖をもつのも迷惑さ」、と。
●道案内
函館公園 市電「青柳町」下車、徒歩3分(地図へ)