【銀座 函館屋】五稜郭の氷 ライカ北紀行 —函館— 第32回

明治の初年、東京・銀座に氷水とアイスクリームで評判の氷屋があった。タウン誌『銀座百点』(銀座百店会)の2019年2月号で、作家・脚本家の筒井ともみさんと嵐山光三郎氏が対談。そのなかで、彼女の伯父で名脇役として活躍した俳優・信欣三(しん きんぞう)の生家が開いた銀座「函館屋」の話がとびだした。

筒井ともみさん、函館屋を語る(『銀座百点』2019年2月号より)
筒井ともみさん、函館屋を語る(『銀座百点』2019年2月号より)

筒井さんの話をベースに、内田魯庵(ろあん)の『銀座繁昌記』、山本笑月の『明治世相百話』などに登場する、函館屋の素顔をちょっぴり醸して描いてみよう。

函館屋の主人、尾張藩士だった信大蔵は、戊辰戦争決戦の地、箱館五稜郭で旧幕府軍を率いた榎本武揚の下で戦った。腰に銃弾をうけたが、民家にひそみ残党狩りをのがれる。その後、上京して銀座で、五稜郭の濠で採れた「函館氷」をつかい、氷屋をはじめたのが明治9年。

その氷は、開港場として外国商船でにぎわっていた函館から横浜へ運ばれたもの。屋号を「函館屋」としたのは、函館が天然氷の当時唯一の産地であり、彼が一生忘れられない思い出の地であったから。

明治ころ、五稜郭の濠で函館氷を切り出す(函館市中央図書館蔵)
明治のころ、五稜郭の濠で函館氷を切り出す(函館市中央図書館蔵)

横浜の居留地に、すでにアイスクリームを食べさせる家があり、函館屋でも手作りし売っていた。孫の欣三によれば、アイスクリームのつくり方は五稜郭戦争のときに旧幕府軍を支援したフランス軍事顧問団の士官から教わり、開業資金は榎本武揚から借りたという。

明治ころの函館氷広告(函館市中央図書館蔵)
明治のころの函館氷広告(函館市中央図書館蔵) 

三間間口の函館屋は、現在の銀座6丁目あたりにあった。銀座通りをはさんで現在の「GINZA SIX」の真ん前で、店の奥の扉をあけると、そこはワインバー。亡命ロシア人などから手に入れたワインや洋酒の瓶が棚にずらり、しかも酒を一杯売りするショットバーの元祖といわれる。ひょっとしたら、箱館時代の信は、英国人貿易商のブラキストン邸でカウンターにつらなり、ワインの一杯を楽しんでいたかもしれない。ビヤ樽のような太鼓腹、洋服に下駄のいでたち、客を客とも思わぬ豪語で、銀座の名物男といわれた。だが、たった一晩の博打で負け、函館屋は人手に渡る。彼らしい人生劇場の幕切れだ。

幕末、ペリー来航により開港場となった箱館には、米、英、仏、露、和蘭……と16カ国の領事が駐在。さらにブラキストンの他にポーター、リンゼーなどの貿易商社もあり、さまざま生活習慣が持ちこまれ、異国情緒豊かな文化が花開いた。

箱館五稜郭の落ち武者が、当時ハイカラな街・箱館に触発されて、最先端の氷を銀座にもちこみ、モダンな函館屋を開いたのではないか。

五稜郭公園。かつて採氷していたのは、橋の向こう側(2019)
五稜郭公園。かつて採氷していたのは、橋の向こう側(2019)

●道案内
五稜郭公園 市電「五稜郭公園前」下車、徒歩10分(地図へ

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