【ひと風呂浴びて】大正湯 ライカ北紀行 —函館— 第29回

西野 鷹志 【Profile】

ジーンズ姿の若いカップルが坂をのぼり、ピンク色に塗られた洋風で木造の2階建てを見あげている。やっと意を決したのか、暖簾をくぐった。函館山のふもと、船見坂の「大正湯」。1914(大正3)年創業の銭湯、100年あまりの時をきざんでいる。

氷点下10度でも銭湯通い(2019)
氷点下10度でも銭湯通い(2019)

3代目となる今の女将、小武典子さんが語ってくれた。船大工のおじいちゃんが北洋漁業の船に乗りこみ、修理に携わっていた。波にゆられるのも卒業と、古い銭湯をゆずってもらい開業したという。昭和の初めに、初代が露領カムチャツカで見た洋風建築の風合いを織りこんで建て替えた。函館名物の大火にも、戦災にもあわず、函館以外ではお目にかかれない和と洋が合体したレトロな銭湯として街にとけこんでいる。氷点下10度の寒いなかでも、近くの住民がひと風呂浴びに通ってくる。

のれん

僕が坊主頭のまま東京の大学に入り、下宿暮らしを始めたのは、東横線渋谷駅から3つ目の祐天寺であった。午後の講義をさぼって駅近くの銭湯で風呂を浴び、その解放感に病みつきとなった。古里・函館では見たことがない富士山を描いたペンキ絵にみとれ、湯気抜きから陽がさして、僕はぷかりぷかりとお湯に浮いている。これぞ、昼風呂。ドイツ語教師の小難しい顔や難解な文法もふっとんでいく。魂の解放か!? 風呂あがりに古本屋を冷やかし、となりのラーメン屋で生ビールを飲み干し、ワンタン麺をすする。いまだにそのうまさを思いだす。

大正湯の外観もレトロだけど、中もレトロにあふれている。大正、昭和そのまま。番台、男湯と女湯の仕切り板も昔のままで、あな懐かしや。籐の大きな脱衣かご、下駄箱、ブリキの傘立て……。湯船につかりながら陽がもれる湯気抜きを見あげていると、ぼーと頭がゆっくりしてくる。そのとき、女湯から笑い声がたった。そうだ、銭湯は社交の場でもあるのだ。

風呂上がりに、昔のラーメン屋のワンタン麺ならぬ、向かいの「蕎麦蔵」で会津手打ちざる1枚といけば、幸せなときがくるだろう。

内部もレトロなものでいっぱい
脱衣所や浴室もレトロな雰囲気

●道案内
大正湯
 市電「函館どつく前」下車、徒歩5分(地図へ

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    西野 鷹志NISHINO Takashi経歴・執筆一覧を見る

    1941年東京生まれ。エッセイスト・写真家。函館中部高校を経て慶応義塾大学経済学部卒。30代半ばで郷里に戻り、函館山ロープウェイを経営する傍ら、日本初のコミュニティFM放送「FMいるか」を創設。北海道教育委員や女子高の理事長、函館のタウン誌「街」の発行人もつとめるなどその活躍は多彩。愛用のカメラ、ライカを肩に北の港街をモノクロで撮り続けて30年。『ウイスキー・ボンボン』『風のcafé 函館の時間』など多くの著書がある。

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