【函館山】 ライカ北紀行 —函館— 第3回

西野 鷹志 【Profile】

戦後まもないガキのころ、なかまと探検気分で枯れ木をつえに、柵をこえて函館山要塞の地下連絡路に潜りこんだことがある。人がやっと通れる幅で天井もひくく、はるか先の穴からもれる光をたよりに暗やみのなか、腰をかがめてこわごわ進んだのであった。

この山に要塞が築かれたのは、日露戦争のまえであった。開戦の翌日、はやくも津軽海峡に姿をみせたロシア艦隊の巡洋艦は、眼下の海をゆうゆうと航行して米をはこぶ日本の船を沈め、市民をパニックにおとしいれた。ロシアは要塞砲の弾がとどく距離を知っていたのだ。また、太平洋戦争のとき、米軍機は上空を自由にとびまわり港と街をおそった。要塞があった半世紀のあいだ、海峡に浮上した潜水艦に七、八発、撃っただけとか…。戦いには張り子の虎も、山の自然保護には大きな存在となった。軍事機密への立ち入りはもちろん、スケッチも撮影もご法度であった。

夜景——Vサイン(2005)

江戸のころから伐採と植林をくりかえしてきた函館山。松前藩は収入源にと木を切りたおしたため、ペリー艦隊に随行した画家ハイネが描いたように禿山となった。そのあと函館奉行や豪商・高田屋嘉兵衛などが杉の植林につとめている。

今では、自分の足で山に一歩ふみいれば、渡り鳥のさえずり、一輪の野花、木漏れ日、森の静寂がまっている。散策してスローライフを味わうのも良い。

暮れなずむ函館山(2005)

●道案内
函館山ロープウェイ山麓駅 市電「十字街」下車、徒歩10分(地図

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    1941年東京生まれ。エッセイスト・写真家。函館中部高校を経て慶応義塾大学経済学部卒。30代半ばで郷里に戻り、函館山ロープウェイを経営する傍ら、日本初のコミュニティFM放送「FMいるか」を創設。北海道教育委員や女子高の理事長、函館のタウン誌「街」の発行人もつとめるなどその活躍は多彩。愛用のカメラ、ライカを肩に北の港街をモノクロで撮り続けて30年。『ウイスキー・ボンボン』『風のcafé 函館の時間』など多くの著書がある。

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