日本最古のトイレ:マリトモの「ニッポンのトイレ」【1】
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トイレの歴史
世界最古といわれているトイレは、現在のイラクにある古代メソポタミア文明のアッカド王朝時代に築かれた都市、テル・アスマルの遺跡から発見された。レンガを椅子のような形に組んだ腰掛け型で、紀元前2200年頃に作られたにもかかわらず、なんと水洗式だった。
日本では約5500年前の縄文時代前期から、場所を決めて排せつ行為をしていたと推測されている。青森県の三内丸山遺跡の近くにある谷の泥土を分析した結果、寄生虫卵が大量に検出された。その種類から人の便と分かり、排せつ場所が決まっていたことが判明した。福井県の鳥浜貝塚でも、糞石(ふんせき)が大量に出土する地点が水辺だった辺りに集中していることから、同時期にトイレ空間を設けていたと考えられている。
100人が一度に用を足せる百雪隠
では、日本に現存する最古のトイレは一体いずこにあるのか? 向かった先は、千年の都と呼ばれる京都において、紅葉の名所として知られる東福寺。禅堂の南に「東司(とうす)」という、南北35メートル、東西14メートルの大きな建物がある。この東司、禅宗の寺院にあるトイレのことなのだ。
建物内には、深い大便用と浅い小便用という原始的な穴が規則的にズラリと並ぶ。その数と広さから、100人が一度に用を足せるという意味で、「百雪隠(ひゃくせっちん)」とも呼ばれている。
百雪隠は室町時代前期に建設された日本最古のトイレとして、国の重要文化財に指定されている。そのため、現在は使用することはもちろん、立ち入りも禁止となっている。そんな貴重な空間を、特別に許可を得て見学させてもらった。修行僧がひしめき合いながら、この穴に向かってどのような格好で用を足していたのか—。穴にまたがりながら、しばし想像してみる。
トイレも大切な修行の場
修行僧たちの排出物は、寺の敷地内にある畑の肥料として大切に使われた。そして、京の野菜作りにかかわる周辺の農家に売ることによって、寺の貴重な収入源にもなっていたという。
東司は、寺院が備えておかねばならない重要な建物「七堂伽藍(しちどうがらん)」の一つに数えられる。その中でも、禅堂と浴室、東司は三黙堂(さんもくどう)と呼ばれ、私語を禁じられた場でもあった。東福寺のような禅宗の寺院では、トイレで用を足すことも大切な修行だったのだ。
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写真:マリトモ『ニッポンのトイレほか』(アスペクト)