『日暮里寺院の林泉』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第108回
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日暮れを忘れるほど美しかった花見寺の林泉
江戸の花見名所といえば、上野寛永寺、品川御殿山、隅田堤、王子飛鳥山などが有名だ。18世紀後半から、それらに匹敵するほど江戸っ子の人気を集めたのが日暮里の桜である。
現在のJR「日暮里」駅と「西日暮里」駅間の西側(荒川区西日暮里3丁目)は、上野山から飛鳥山まで続く高台が狭まり、尾根状の台地になっている。江戸時代には自然が豊かで、春はウグイス、夏はホトトギス、秋にはスズムシの音色が聞こえ、眺望も良く、西に富士山、北に日光連山、北東には筑波山が見えたという。
この台地を中心とした一帯は、古くから「新堀(にっぽり、にいほり)」と呼ばれていたという。徳川8代将軍・吉宗治世の18世紀前半、風光明媚(めいび)な高台の西側斜面を「日暮れまで楽しめる」「日暮れを忘れてしまう」という意味で、「ひぐらしの里」とも呼ぶようになり、「日暮里」の字を当て始めた。俳人や戯作者、絵師が好んで訪れたというから、そうした風流人が名付けたのであろう。
寛延年間(1748-51)、台地の西斜面にある「妙隆寺」が桜やツツジを植えて庭を造営。すると北隣の「修性院」、そのさらに北の「青雲寺」も競うように庭園を築いたという。寺の境には低い竹垣しかなく、一つの大きな林泉(庭園のこと)に見えたため、江戸っ子は3つの寺を総じて「花見寺」と呼んだ。各寺院の境内には茶屋も点在し、四季を通じて風流を楽しむ行楽客が訪れ、特に桜の時季には大いににぎわったという。
『日暮里寺院の林泉』では手前に枝垂(しだ)れ桜を配し、広場の周りには美しく剪定(せんてい)されたツツジやツゲが並ぶ。奥の斜面では、木々の間で咲き誇る桜を眺めながら、花見客が坂を上っていく。
画題には特定の寺の名がないため、広重の立ち位置がしばしば話題になる。特徴的なアイコンといえば、「広重画」の落款(らっかん)上にある帆掛け船のような灌木(かんぼく)と、中央付近に描かれた坂道であろう。船形の植木は『江戸名所図会』の5ページ目(上の図版の右ページ下部)にも登場するので、修性院のものなのは間違いないだろう。
坂道は、今も残る富士見坂と考える人も多いが、位置的には妙隆寺の南側にあったので、船形の植木の左手に描かれるはずがない。広重は『絵本江戸土産』の「日暮里(ひぐらしのさと)諏訪の台」で、今回の絵とほぼ同じ場所の雪景を4ページで描いている。修性院にあった「番神」の堂宇や、船形の灌木の位置で照らし合わせると、坂道も同じ境内にあった名もなき坂だと考えるのが妥当だ。広重は、縦構図に林泉のエッセンスを凝縮するため、修性院境内を斜めに描き、奥行きを出したと筆者は考えている。
花見寺と呼ばれた3寺院のうち、一番南の妙隆寺は明治期に廃寺となり、その墓所は同じ日蓮宗の修性院が引き取った。各寺の境内は大幅に縮小し、青雲寺との間にはマンションや学校が立ち並ぶ。撮影した2017年、修性院の枝垂れ桜は植え替えたばかりで、2本の内1本は花を付けていなかった。やむを得ず青雲寺に向かうと、2本の桜が咲き誇っている。脚立を立て、少し俯瞰(ふかん)気味にファインダーをのぞくと、剪定された植木や本堂裏の斜面にある木々の青さに、かつての林泉の面影が感じられた。
●関連情報
日暮里 花見寺
「新堀」の名には諸説あり、15世紀中頃に江戸城を築いた太田道灌に仕えた、新堀玄蕃(げんば)に由来するというのが有名である。しかし、その時代より前の年貢目録に「にっぽり」の記載があったというので、真偽は定かでない。アイヌ語の「ヌプリ(山の意)」が変化したという説も、地形的にはピッタリなので紹介しておく。
花見寺はいずれも明暦の大火(1657年)以降に、台地の西斜面に堂宇を築いた。修性院は1663(寛文3)年、妙隆寺は1694(元禄7)年に他所から遷座。青雲寺の開山については不明だが、宝暦年間(1751〜64年)に当地で再興したと伝わっている。
「ひぐらしの里」と呼ばれ始めた頃、各寺院では和歌や俳諧の集まりが盛んになり、風流人が多く訪れたという。それに合わせて、花見寺でも林泉の美しさを競い合うようになる。富士に沈む夕日は見事だったろうから「日暮れが美しい里」という意味や、30分ほど歩けば下谷広小路(現・上野広小路)まで出られるので、「日暮れを見届けてからでも家路につける」の意味合いもあったかもしれない。1889(明治22)年、正式に「日暮里」の字を当てた町名が誕生した。
林泉にあった船形の植木は七福神が乗る「宝船」に見える。現在も修性院には布袋尊、青雲寺には恵比寿神が祀られている。コロナ下で東京散策する人が増え、七福神めぐりは静かなブーム。東京で最も長い歴史を持つという「谷中七福神めぐり」に出掛けた際には、両寺院にあった林泉にも思いをはせてほしい。