『真乳山山谷堀夜景』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第62回
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宵に栄える対岸の姿を、シルエットで見事に表現
以前も書いたが、『名所江戸百景』は安政江戸地震(1855)の壊滅的な被害から復興した江戸の姿を描いたシリーズである。全118景(119枚)のうち3分の1以上の42枚が春の景で、その半分近くの20枚に桜の花が登場する。春の象徴・桜は、まさに復興を表現するのにふさわしかったのだろう。
今回は、その中でも唯一「葉桜」を描いた絵だ。向島・三囲神社(墨田区向島2丁目)近くの墨堤から、隅田川越しに対岸の山谷堀と聖天宮(しょうでんぐう、現・待乳山聖天、台東区浅草7丁目)がある待乳山(まつちやま)を望んでいる。有名な墨堤の桜と、ちょうちんに導かれてお座敷に向かう芸者を「枠」とした広重お得意の構図だが、花が散りかけた葉桜で、芸者の着こなしや表情がやぼったく、桜の絵としては寂し気な夜景である。
一方、対岸の山谷堀入り口付近はにぎやかだ。橋脚が見えるのは今戸橋で、その両側の料亭には煌々(こうこう)と明かりがともり、宴会の笑い声が聞こえてきそうだ。近くの川面には猪牙舟(ちょきぶね)や屋根舟が数多く浮かんでいる。山谷堀の上流にあるのは、“毎夜が祭り”の「吉原遊郭」。日本橋や両国辺りの旦那衆は、ここまで舟でやって来て、腹ごしらえをしてから、山谷堀沿いの土手通りをかごか徒歩で吉原へ向かったという。
しっとりとした向島側の近景が、主題である対岸の遠景をより華やかに引き立たせている。空に輝く満天の星、水面に映る星影は、散り落ちた桜の花弁と混ざり合い、「陽」と「陰」の調和をはかっているようだ。
実は安政江戸地震の翌年の1856(安政3)年、名所江戸百景の刊行開始直後にも大型台風が江戸の町を襲った。数多くの建物が倒壊や浸水の被害に見舞われ、今戸橋の近くにあった料亭も損壊したと伝わっている。この絵の年月印は安政4(1857)年8月。たった1年後には、新しくなった料亭が繁盛し、吉原の毎夜の祭りも復活を遂げたことが読み取れる。葉桜も江戸時代には、新緑の始まり、暖かい季節の到来を象徴するめでたいものであった。
写真は2019年、隅田公園・墨堤から、待乳山聖天の屋根を中央、今戸橋辺りを右に、桜の枝越しに撮影した。向島の隅田川沿いは徳川8代将軍・吉宗の時代からの桜名所で、葉桜になっても夜遅くまで花見客でにぎわい、人けがない景色を撮影できたのは夜の11時頃だった。
2020年春は新型コロナウイルス感染症拡大の影響によって、花見は自粛となり、「墨堤さくらまつり」も中止となった。来年は、世界中の人々が花見を楽しめることを切に願う。
●関連情報
待乳山聖天 本龍院、山谷堀公園
広重の時代に聖天宮と呼ばれた「待乳山聖天」は、正式名称「本龍院」で浅草寺の支院の一つ。近年は2年に1度『待乳山聖天「浮世絵展」』を開催しているので、浮世絵ファンにはよく知られている。ご縁があり、2019年の浮世絵展で平田真純住職とお話をする機会があったので、今回の原稿を書くにあたって再び伺った。
浅草の北、隅田川沿いに位置する待乳山は、高さ10メートル程の丘である。古くはこの辺りまで海辺で、一帯は砂地だったそうだ。丘陵地にのみ「真の土」があるということで「真土山(まつちやま)」と呼ばれるようになった。それが次第に「待乳山」と転化したため、広重は2つが混ざった「真乳山」と書いている。
待乳山聖天の縁起では、595(推古天皇3)年に突然土地が盛り上がり、そこに金龍が舞い降りたとされる。その6年後に長い日照りが続いた際、十一面観音が大聖歓喜天(聖天)となって現れ、苦しむ民を救ったそうだ。元はインドの神ガネーシャである聖天は、象頭人身の姿をしており、仏教とともに日本に伝わっている。
平安時代の857年、浅草寺を中興開山した慈覚大師が待乳山にこもり、十一面観音像を彫って納めたことで、人々の信仰対象となったという。境内が整備され、江戸っ子たちに広く知られるようになったのは、徳川3代将軍・家光の時代。「聖天」を祀る神社として「聖天宮」「聖天社」と呼ばれたが、神職がいたり、祝詞を唱えて祈祷をしたりした記録はないそうだ。管理した別当寺が本龍院で、明治期の神仏分離令により、神社ではなく寺院として残ったという。平田住職は、家光時代の本龍院初代住職から数えて22代目に当たる。
境内西に隣接する待乳山聖天公園には、『鬼平犯科帳』『剣客商売』などで知られる池波正太郎の「生誕の地」の碑があり、度々作品に登場する周辺地域はファンの聖地だ。北側にあった山谷堀は1975年に全て埋め立てられた後に、山谷堀公園として整備され、周辺住民の憩いの場となっている。
浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。
浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」作品一覧はこちら