『市ヶ谷八幡』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第60回
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粋な祭りと桜で知られた、江戸城誕生時の西の守護神
現在のJR「市ケ谷」駅付近、千代田区九段北と五番町にまたがるように江戸城外堀の「市ヶ谷御門」があった。桜が咲く春の日に、その門外の土橋の上から堀越しに、「市谷八幡宮」(現・市谷亀岡八幡宮)と門前町(現・市谷八幡町)の往来を望んだ絵だ。
右上に大きく誇張して描かれた屋根が市谷八幡宮の本殿である。室町時代後期の武将で、江戸城を最初に築いた太田道灌が1479(文明11)年に創建したと伝わる。江戸城西側を守護するために、武家の守護神として知られる鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)から勧請(かんじょう)した。「鶴は千年、亀は万年」にちなんで、当初は「亀岡八幡宮」と命名したが、皮肉にも道灌は7年後に55歳で謀殺された。
その後、荒廃するが、3代将軍・徳川家光と、その側室で5代・綱吉の母・桂昌院(けいしょういん)が信仰・寄進したことで、市谷八幡宮として再興した。境内には茶屋や芝居小屋が並び、山の手地区の粋な旗本やっこや町やっこが参加する華やかな祭礼には、見物客が押し寄せたという。
市⾕⼋幡宮の左隣は、御三家筆頭・尾張徳川家の広⼤な上屋敷で、
実は、この絵の枠外に押してある年月印は、初代広重がコレラで没した翌月の「安政5(1858)年10月」。当然、初代の絵を死後に刷って発売した可能性はあるが、同じ年月が押された計3枚の『名所江戸百景』は、描写や構図などからも二世広重が描いた説が有力だ。実際、「安政6年6月」の改印(あらためいん)を持つ『赤坂桐畑雨中夕景』に「二世広重画」の落款があるように、弟子が引き継いだことは明らかで、版元が人気シリーズを継続するために慌てて二世に頼んだという意見にも一理ある。
江戸のガイドブックとして人気だった『絵本江戸土産』は初代広重が7編まで手掛け、死後に二世が10編まで刊行した。8編に収録されている『市谷八幡表門前』は『市ヶ谷八幡』と構図が似ており、二世説を後押しする。『市ヶ谷八幡』の左端には、定火消同心だった広重が好んだアイコン「火の見櫓」が登場しているが、実は二世の父親も定火消だったので、この点も違和感はない。
現在の市谷亀岡八幡宮も、広重の時代と同じ場所に祀(まつ)られている。外堀通りにはビルが立ち並ぶので、外堀を渡る橋の上からは社殿や石段は全く見えない。写真は、桜の開花時期に訪れ、石段と満開の桜が見える場所まで近寄って撮影した。元絵とは違って、平日の昼間にも関わらず石段を登る参詣者、花見客が後を絶たず、人が写らないようにするのに苦労した。本殿は見えないが、石段途中の境内社「茶ノ木稲荷」の社殿や石段上の桜が往時をしのばせたので作品とした。
●関連情報
市谷亀岡八幡宮 尾張徳川家屋敷
太田道灌が亀岡八幡宮を建立した場所は正確には分からないが、当時の江戸城の規模を考えると内堀に近かっただろう。家光の時代に江戸城外堀の整備が進むと、古くから茶ノ木稲荷(ちゃのきいなり)が祀られていた現在の敷地に遷座し、市谷八幡宮として再興した。
明暦の大火(1657)後、尾張徳川家をはじめとする多くの武家屋敷が周囲に移転したことも、繁栄の要因となったのであろう。享保10(1725)年の火事で本殿など多くの建物を失い、規模は縮小したものの、牛込・神田と四谷・赤坂方面を行き来する人が多かったことに助けられ、幕末まで栄えていたという。東京大空襲で境内が全焼したため、現在の社殿は1962(昭和37)に再建したものだ。
近年、市谷亀岡八幡宮は「ペットと一緒に参拝できる神社」として人気を呼んでいる。犬猫などを不浄のものとして境内に入れることを禁じる社寺が多い中、ペット同伴の初詣はもちろん、健康長寿の祈願や七五三のお祝いなども受け付け、ペット専用のお守りも授与している。こうした対応は、生類憐みの令を発布して「犬公方(くぼう)」と呼ばれた綱吉の母・桂昌院から、あつい庇護を受けたことへの感謝が根底にあるようだ。犬猫を単なるペットではなく、大切な家族と考える現代の風潮に寄り添う神社といえるかもしれない。
市ヶ谷の名所の一つだった尾張徳川家の屋敷は、明治維新後に陸軍管轄となり、太平洋戦争では参謀本部が置かれた。終戦直後から始まった極東国際軍事裁判では、構内の陸士大講堂が法廷となった。1959(昭和34)年から自衛隊の駐屯地が設置され、1970(昭和45)年には三島由紀夫が割腹自殺した「三島事件」の舞台となる。2000(平成12)年に防衛庁本庁、防衛施設庁が六本木から移転。2007年に防衛省へ昇格となり、近代的な庁舎が立ち並んでいる。
浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。
浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」作品一覧はこちら