『永代橋佃しま』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第56回
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寒空の下、徳川家のために篝火をたく漁師たち
隅田川(大川)に架かる4番目の橋として、1698(元禄11)年に造られた「永代橋」。長さは120間余り(約220メートル)で、中央区日本橋箱崎町の南部にあった北新堀町と深川の佐賀町を結んだという。現在の永代橋よりも130メートルほど上流に架かっていたことになる。広重は永代橋の下から、河口方向の夜景を描いている。元絵中央の遠方に浮かぶのが佃島(つくだじま)で、右手に見える大型船の船だまりは日本橋川につながる辺りだ。
海上で篝火をたくのは、白魚漁(しらうおりょう)をする佃島の漁船であろう。佃島は、隅田川河口の中州・石川島の南にあった干潟を、江戸時代初期に埋め立てた。徳川家康と知己の間柄だった摂津国・佃村(現・大阪府西淀川区佃)の漁師らが移住したことが、「佃島」の名の由来となった。家康が入府するまでは江戸に高度な漁業技術がなく、発展する城下町の胃袋を満たすために、古くから卓越した技術を持つ佃村の漁師を呼び寄せたのではないだろうか。
この島の漁師には、江戸湾全域での漁業権や税の免除など特権が与えられ、捕った魚を徳川家に納めさせたという。特に白魚は家康の大好物で、透けて見える脳部分が徳川家の家紋「三つ葉葵」に似ていたことから、将軍家では代々珍重したと伝わる。佃島の漁師たちは毎年春になると、白魚を献上するために寒空の下で篝火をたいて魚群を寄せ集めた。
写真は江戸時代に永代橋が架かっていた地点から、下流にある現代の永代橋に向かって撮影。ライトアップされた橋や屋形船、立ち並ぶタワーマンションなどの街明かりが当世風の夜景を織りなした。
一番苦労したのが、月の形状だ。広重の描いたのは、よく月を観察する者にとってはありえない形なのだ。上弦の月(半月)の数日後にも思えるが、それにしては細長い。上弦の月が出る旧暦の1月7日から、月が南の空にかかる時間に連日足を運んでみると、夜空で輝く月の光は拡散することに気づいた。4日目の月(十日夜の月)の光が、元絵と似た形に広がったので、屋形船に並んだ赤ちょうちんを篝火に見立ててシャッターを切り、デジタル処理を加えて作品とした。空気が乾燥している時期なので、オリオン座などの星も美しい。現場で目を細めると肉眼でも月が写真のように見えたので、広重の目にも実際にこんな形に映ったのかもしれない。
●関連情報
永代橋、佃島
千住大橋、両国橋、新大橋に次いで隅田川に架けられた永代橋は、5代将軍・綱吉が50歳を迎えた記念に、「深川八幡(現・富岡八幡宮、江東区富岡)」の参拝客などが利用した「深川の渡し(大渡し)」があった場所に建造された。名称は、別当寺として深川八幡を管理した「永代寺」と永代島にちなんだもので、徳川幕府が末永く続くように願う意味合いも込められたようだ。
永代橋が架かったことで、日本橋方面と深川方面の往来が一気に増えていく。幕政改革が進んだ享保期(1716-36)、幕府は修繕費捻出が困難なために取り壊しを決定したが、町人らから「残してほしい」という嘆願があり、維持管理費を町人衆が負担するのを条件に存続する。1807(文化4)年には、深川八幡の「深川祭」に群衆が押し寄せて崩落。しかし、すでに交通の要衝、江戸の名所となっていたために幕府が再建した。
1897(明治30)年、現在の場所に鉄橋が建造された。関東大震災(1923年)では木製の床部分などが焼け落ち、多数の犠牲者が出てしまう。その復興事業として3年後に架け替えた永代橋が、整備などを繰り返しながら今でも使用され、国指定の重要文化財となっている。
佃島は、魚や貝などをしょうゆと砂糖で甘辛く煮た「つくだ煮」の発祥地としておなじみ。現在の中央区佃は3丁目まであるが、江戸時代に佃島だったのは1丁目の南部分。江戸時代後期から明治期に埋め立てが進み、石川島とつながった後、島の東側が拡張した。南西側の月島は、明治中頃から埋め立てが始まった。どんどん陸地が延びて、現在の勝どきや豊海町が誕生したため、隅田川の河口も約2.5キロ南西へと移動した。佃1丁目南部は古い町割りのままで、江戸時代から続く「つくだ煮店」もあるので、週末にはカメラや地図を片手に散策する人をよく見掛ける。
浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。
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