『山下町日比谷外さくら田』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第55回
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正月風景に赤門が選ばれた意図とは?
正月にふさわしい一枚は、題箋(だいせん)を読むと「山下町から眺めた日比谷と外桜田」ということになる。今では聞き慣れない山下町とは、現在の銀座・数寄屋橋近くにある中央区立泰明小学校(銀座5丁目)の付近にあった町で、江戸城の外堀に面していた。その堀端から、西方向の日比谷、外桜田を望んだ絵だ。
広重は門松の葉、2つの羽子板と羽根、奴凧(やっこだこ)を手前に配し、江戸城の堀、大きな門松を立てた赤門の大名屋敷、そして富士山を描いている。同じ正月の風景を題材にした『霞かせき』では、めでたい雰囲気を演出するために、三河万歳(まんざい)や太神楽(だいかぐら)の集団など、多くの人物を登場させた。しかし、この絵は正月のアイテムを強く印象付けるために、羽子板で遊ぶ2人組や凧を揚げる子どもらを枠からわざと外している。
堀の向こうの大名屋敷は、現在の日比谷公園敷地内にあった肥前佐賀藩(松平肥前守)の上屋敷だ。赤い門は将軍家から姫君を迎えた証しで、当時の藩主・鍋島直正(当時・斉正)は11代将軍・徳川家斉(いえなり)の第十八女・盛姫を正室に迎えている。
佐賀藩は、幕末から明治維新にかけて、江藤新平や大隈重信など多くの優秀な人材を輩出している。これは、直正が藩主となってから進めた、藩校の弘道館を中心とする教育改革や殖産興業の結果だろう。西洋の技術をいち早く取り入れ、アームストロング砲や蒸気船などの藩内生産に成功している。江戸湾防衛のための品川台場建設の際には、これらの技術を提供したことで、幕府からも大きな信頼を得たという。開国前夜といえる1858(安政5)年の正月にあたって、広重が鍋島家の屋敷を描いたことにも、そうした時代背景が影響しているのだろう。
今では元絵の堀は埋め立てられているので、日比谷堀端から西の方へ向けて撮影した。真ん中に建つビルは、手前が法務省などが入る中央合同庁舎、奥が警視庁である。左の松は、門松用の松の枝を持参し、堀端のフェンスにくくりつけた。元絵と同様に石垣を右に配置し、堀にユリカモメが集まったタイミングでシャッターを切った。
●関連情報
日比谷公園、御守殿門
今回の絵に描かれている堀は、外堀と内堀を結んでいた内山下堀である。今は埋め立てられている上に、少し地形が複雑なため、正確な場所が把握しづらい地域だ。内山下堀は、日比谷公園の北東に立っていた日比谷御門から、現在の帝国ホテル(千代田区内幸町1丁目)北側の道(至・みゆき通り)に沿って、JRの線路辺りにあった山下御門付近で外堀につながっていた。
その堀の一部は日比谷公園内「心字池(しんじいけ)」として今も残り、ほとりに続く石垣は内山下堀の東岸にあったもの。その北端には「日比谷見附跡」の案内板が設置されている。
日比谷公園付近は、徳川家康の入府当初、「日比谷入江」と呼ばれる海であった。幕府による江戸開発の際に埋め立てられ、多くの大名屋敷が建ち並んだ。鍋島家の屋敷は現在の噴水広場周辺に広がり、朱塗りの門は日比谷通り沿いの日比谷門辺りにあったらしい。
大名に嫁いだ徳川将軍家の娘および居住した屋敷は「御守殿(ごしゅでん)」、赤い正門は「御守殿門」と呼ばれた。東京大学(文京区本郷)のシンボル「赤門」も、実は御守殿門の名残だ。盛姫の妹にあたる家斉の第二十一女・溶姫を正室に迎えた、加賀藩13代藩主の前田斉泰が建てたものだという。
明治になり大名屋敷が取り壊されると、現在の日比谷公園周辺はさら地になり、1871(明治4)年には陸軍の操練所となった。1888(明治21)年、陸軍施設の移転に伴い、周囲の大名屋敷跡と同様、官庁庁舎建設の案が持ち上がった。しかし、地盤が緩いという理由から公園として整備され、1903 (明治36)年に日比谷公園が誕生した。
園内には、レストラン「松本楼」や結婚式場「高柳亭」(現・日比谷パレス)などが出店し、後に大小の野外音楽堂、日比谷図書館などが造られた。1929(昭和4)年に完成した市政会館内には日比谷公会堂があり、当時の東京を代表するコンサートホールとして数々の演奏会を開催。野外音楽堂と共に、戦後を通じて長らく「日比谷公園=音楽の聖地」であった。現在は、オクトーバーフェストなどのグルメ系を中心に数々の季節イベントが開催され、皇居ランナーのための拠点もあり、都会の憩いの場となっている。
浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。
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