『虎の門外あふひ坂』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第54回
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江戸の“こんぴらさん”近くの名所と真冬の風物詩
明治時代に埋め立てられた赤坂(港区)の溜池は、広重の時代には水が満ちた大きな池で、江戸城外堀の一部になっていた。現在の赤坂見附辺りから、外堀通りと環二通りが分かれる赤坂一丁目交差点辺りまで続き、端には堰堤(えんてい)があったそうだ。そこから流れ落ちた水は汐留川となり、虎之御門(現・港区虎ノ門交差点付近)の南を通り、新橋(芝口橋)、汐留橋を経て、浜御殿(現・浜離宮恩賜庭園)の脇から海に注いでいた。今では汐留川も、ほとんどが埋め立てられている。
広重は冬の夜景として、堰堤とその脇の坂道を描いた。題箋(だいせん)には「あふひ坂」とあるが、古地図には「葵坂(あおいざか)」と記される。冬の寒い夜のはずだが、ふんどし姿の2人連れが登場するのがおもしろい。「金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)」と書かれたちょうちんを手にしているので、葵坂下にある金毘羅大権現、現在の「虎ノ門 金刀比羅宮(ことひらぐう)」への「寒詣(かんもうで)」の帰り道だと分かる。
寒詣は「寒参り」や「裸参り」とも呼ばれ、ふんどし一丁で水ごりを取り、その姿のままで鈴を鳴らしながら神社仏閣へ参拝した。「寒」とは四季をさらに6等分した二十四節季の「小寒」と「大寒」の期間で、現在の1月6日頃から立春(2月4日か5日)の前日までの約30日通い続ける。技術の習得を祈願する見習い職人たちがよく行っていたそうで、その姿や鈴の音は真冬の風物詩だったという。
落語の「時そば」に出てきそうな夜鳴きそばの屋台が2つ並び、中間(ちゅうげん)にちょうちんを持たせた頭巾姿の武士などは、冬らしい光景だ。坂の上には落葉したエノキ、その右には溜池の北に鎮座する日吉山王大権現社(現・日枝神社)の社殿が描かれている。地平線近くはうっすら明るく、三日月の高さなども考えると、午後6時頃ではないだろうか。
明治期に堰堤が壊された後、地面も平らにならされ、葵坂はもうない。位置的には、現在の商船三井ビル(虎ノ門2丁目)辺りにあったと思われる。写真は寒の時期の夜、環二通りの広い歩道を坂の位置に配し、外堀通り方面に向かって撮影した。今でもゆるやかな上り坂で、かすかに往時がしのばれる。商船三井ビルの階段が青信号に照らされるタイミングを捉え、堰堤を流れる水に見立ててシャッターを切った。
●関連情報
虎ノ門、金刀比羅宮
港区虎ノ門は、江戸城の外郭城門であった「虎之御門」に由来する。広重の時代は虎之御門の外、現在の虎ノ門交差点より南側には、御用屋敷や勘定奉行の役屋敷があり、そこから大名や旗本、御家人などの屋敷が並んでいた。
葵坂の下、勘定奉行屋敷に隣接していたのが、讃岐丸亀藩主の京極家の上屋敷だ。邸内には、丸亀藩領内(香川県西部)の象頭山(ぞうずさん)にある金毘羅大権現を分霊して祀(まつ)っていた。仏教の金毘羅と日本神話の大物主神(おおものぬしのかみ)が習合した金毘羅大権現は、海上の守護神として広く信仰されていた。五穀豊穣や商売繁盛、招福除災などにもご利益があるとされ、江戸市民からの信仰も厚かったことから、毎月10日だけ邸内を解放して参拝を許したという。
1850(嘉永3)年の古地図には、「コンピラ」は朱塗りの寺社地として、京極家の屋敷と区別して記されている。30日にわたる寒詣も行われていたのだから、幕末頃には常時開放していたのかもしれない。廃仏毀釈(きしゃく)によって明治初頭に「事毘羅(ことひら)神社」となり、1889(明治22)年に「金刀比羅宮」へと再度改称した。参拝客は愛称の「こんぴらさん」と呼んでいたので、改称はあまり関係なかったであろう。現在は、境内に地上26階のオフィスビル「虎ノ門琴平タワー」が建ち、都心ならではの神社として親しまれている。海の守護神である金刀比羅宮と商船三井の本社が、道を挟んで隣り合っているのは興味深い。
虎ノ門エリアでは、2014年開業の虎ノ門ヒルズを皮切りに、高層ビルの建設ラッシュとなっている。2020年には、東京メトロ日比谷線の「虎ノ門ヒルズ」駅が開業。虎ノ門5丁目にある「神谷町」駅付近の再開発では、330メートルの日本一の高層ビルが2023年に誕生する予定だ。
浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。
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