『王子瀧の川』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第51回
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“自然の山水”と評された渓谷の紅葉
全119景の「名所江戸百景」に、桜を描いた絵は20枚もあるが、紅葉の風景は4枚しかない。当時の江戸にも、紅葉の名所は数多かったはずである。広重は安政江戸地震から復興する江戸の姿を伝えるために「名所江戸百景」を描き始めたというが、枯れ落ちる紅葉よりも、華やかに咲く桜の風景が目的には合っていたのだろうか。
王子を舞台にした絵は、全部で6景。いずれにも豊かな自然が描かれ、江戸市中の人々が日帰りで訪れる人気行楽地だったことがしのばれる。8代将軍・徳川吉宗が飛鳥山を中心に王子周辺に桜を植えたことは有名だが、同時に秋に色づくカエデなども植樹している。特に“自然の山水”とたたえられた「滝野川(石神井川)」の渓谷は、紅葉の見物客でにぎわったそうだ。
広重が描いた秋色の王子は、紅葉寺の愛称で親しまれた「金剛寺」辺りだ。金剛寺は弘法大師・空海が創建し、本尊の不動明王像を自ら彫ったと伝わる。平安時代末期、源頼朝が武蔵国を攻める際にこの地に陣を敷き、後に弁天堂や田地を寄進したという古刹(こさつ)である。
右手の高台の奥に見える屋根が金剛寺で、対岸へと架かるのは「松橋」。真ん中の崖下に描かれた鳥居がある洞窟は「松橋弁財天洞窟(別名・岩屋弁天)」で、空海作の弁財天像が祀(まつ)られていたそうだ。右端では、王子七滝の一つ「弁天の滝」が勢いよく流れ落ちている。
松橋はこのかいわいで唯一の橋だった。古地図には「王子権現(現・王子神社)」に向かう人のために、「この橋の他に、近辺に橋はない」といった注意書きが添えられている。カエデが色づくのは肌寒い時期だが、参詣する前に身を清めているのか、滝浴みや川浴みする人の姿も見える。
現在の滝野川はコンクリート護岸され、“自然の山水”はもうない。川沿いにはたくさんの桜の木が植えられているので、桜の葉が染まる頃に出向いて撮影した。右岸に見えるくぼ地は、かつて松橋弁財天や弁天の滝があった辺りで、現在は「音無もみじ緑地」という公園になっている。その奥に見える銅瓦の屋根が金剛寺だ。川の両岸、音無もみじ緑地、金剛寺の全てがフレームに収まる場所を探してシャッターを切り、作品とした。
●関連情報
滝野川(石神井川)、音無もみじ緑地
第3回『王子音無川堰棣世俗大瀧ト唱』、第41回『王子不動之瀧』でも触れたが、石神井川は板橋より下流の王子付近では、「滝野川」あるいは「音無川」と呼ばれていた。くねくねと蛇行し、流れは滝のように速かったらしい。川の水に削られて切り立った両岸は、豊かな緑と共に渓谷美を成し、“自然の山水”と評されて江戸の人々に愛された。
古くから川の南側一帯は「滝野川村(滝廼川村)」で、今でも北区滝野川という地名が残っている。金剛寺は昔と同じ場所、滝野川3丁目にあるが、松橋はだいぶ下流の王子本町1丁目に架かっている。
昭和30年代から、洪水対策のために石神井川の改修工事が行われた。護岸整備が進み、カーブする部分はショートカットする形で水路を造り、川の流れをなだらかにした。埋め立てられた屈曲部分の元流路は、親水公園や緑地として整備された。前述の通り、紅葉の名所だった松橋弁財天周辺は、音無もみじ緑地となっている。川に面して入り江があり、水藻も多く、魚が繁殖できる仕組みだという。羽を休めるカモや、小魚を狙うサギなどの水鳥にも出会え、自然を感じることのできる公園である。
※紫色の線は、石神井川(滝野川)の旧流域。昭和20年代の航空写真などから編集部が推測
浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。
浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」作品一覧はこちら