『芝神明増上寺』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第50回

歌川広重「名所江戸百景」では第79景となる『芝神明増上寺』。東海道を旅する人々が立ち寄った、芝の名所を描いた一枚である。

関東のお伊勢さまと徳川家の菩提寺

「芝神明(しばしんめい)」とは、現在の芝大神宮(港区芝大門)のこと。伊勢神宮の主祭神、内宮(ないくう)の天照大御神(あまてらすおおみかみ)と外宮(げくう)の豊受大神(とようけのおおかみ)を共に祀(まつ)り、1005年に創建したと伝わる。当時は飯倉山(現・芝公園)にあったため、「飯倉神明宮」とも呼ばれていた。鎌倉時代には源頼朝が参拝に訪れ、豊臣秀吉は奥州遠征の際に立ち寄って戦勝祈願をしている。古くから「関東のお伊勢さま」として、広く信奉されていたようだ。

徳川家康は江戸入府後、増上寺を菩提(ぼだい)寺として芝に広大な寺領を与えた。その際に、芝神明は現在の場所、増上寺境内の総門(表門)だった大門の北東に移されたという。東海道(現・国道15号線)から近いので、江戸へ出入りする多くの旅人が、道中無事の祈願や、旅のお礼参りに訪れた。増上寺の門前町なので、茶屋や見せ物小屋、土産物屋が並び、大変にぎわっていたようだ。

広重は秋の景として、右手に芝神明の社(やしろ)、左手に大門を配置している。題箋(だいせん)をよく見ると『江戸百景餘興(よきょう)』とあるが、この絵と『鉄砲洲築地門跡』の2点にしか「餘興」は付け加えられていない。そして、人々の表情がしっかりと描かれている点も『名所江戸百景』では珍しい。手前の旅装束の集団は楽しそうに談笑している様子が見て取れる。江戸見物を楽しんだ後、増上寺や芝神明を参詣してから故郷へ帰るところであろうか。

当時の増上寺はたくさんの若い修行僧を抱え、七つ時(午後4時)になると10~20人が集団となって、一斉に各町へと托鉢(たくはつ)に出掛けたという。拍子木を打ちながら、念仏を唱えて歩く僧たちは「七つ坊主」と呼ばれ、時を知らせる江戸の名物であった。

大門と芝大神宮の位置を古地図で確認すると、広重は大門前の通りから描いていることが分かる。現在は、通り沿いにビルが立ち並んでしまったので、同じ場所からは芝大神宮は見えない。写真は秋晴れの日に芝大門交差点から撮影し、大門と東京タワーを画面左に収めて作品とした。

関連情報

増上寺と大門

増上寺は室町時代の1393年、浄土宗の僧・聖聡(しょうそう)が武蔵国貝塚(現在の千代田区平河町から麹町付近)に創建した。

徳川家は松平姓の時代から浄土宗、特に聖聡の弟子たちを信奉し、三河に寺院を開山させている。1590年に江戸へ国替えとなった家康は、当時の増上寺住職に深く帰依したと伝わる。1598年に芝に移されると、現在の芝公園全体を境内とする巨大な寺院となった。

上野の寛永寺と並ぶ徳川家菩提寺のため、歴代15将軍のうち、2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の6人が眠る。かつてはそれぞれの霊廟(れいびょう)や宝塔が境内に並んでいたが、太平洋戦争の空襲で多くが消失。1958(昭和33)年に、将軍たちの遺体は境内北西にある徳川将軍家墓所に改葬された。ここには各将軍の正室や側室の墓もあるので、秀忠の正室で織田信長のめいにあたるお江(ごう)の方(崇源院)や、家茂の正室である皇女和宮(静寛院宮)も埋葬されている。

かつての総門だった大門は、明治初頭の寺領没収によって増上寺境内と離れてしまったため、東京府に寄付された。1937(昭和12)年に、現在の鉄筋コンクリート製に造り直されている。戦後、境内の整備を進めた増上寺が返還を求めたが、都の財産目録に大門の記載が見付からず、所有者不明の状態が約40年も続いてしまう。老朽化が進む中、2016年春に東京都が増上寺に無償で返還。翌年には、耐震補強も含めた改修工事が完了した。

広重の時代の増上寺は東海道と芝神明から近く、将軍の霊廟もあることから、地方からのおのぼりさんであふれていた。現在は近隣にホテルが多く、すぐ裏手には東京タワーが建つため、たくさんの外国人観光客でにぎわっている。

徳川秀忠(台徳院)の霊廟は増上寺の南側に広がっていた。戦災を免れた旧台徳院霊廟惣門は今も残る
徳川秀忠(台徳院)の霊廟は増上寺の南側に広がっていた。戦災を免れた旧台徳院霊廟惣門は今も残る

浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。

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