『紀の国坂赤坂溜池遠景』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第48回
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将軍継嗣問題の最中に描かれた意味深な名画
赤坂見附(港区)の交差点から四谷(新宿区)方面へと上る「弁慶堀」沿いの坂は、江戸時代には堀の外側に御三家の一つ・紀州徳川家の屋敷があった。そのため、現在も「紀伊国坂(きのくにざか)」と呼ばれている。
第47回『外桜田弁慶堀糀町』で触れたが、江戸時代には桜田門と半蔵門の間の内堀(現・桜田堀)が「弁慶堀」だった。江戸築城で活躍した大工・弁慶小左衛門に由来する。当時、小左衛門が岩本町(千代田区)の小さな水路に架けた橋も「弁慶橋」と呼ばれていた。明治期に水路は埋め立てられたことで橋は不要になったが、その部材を再利用して紀尾井町(千代田区)と赤坂の間に新たな弁慶橋を架けた。その周辺の外堀が「弁慶堀」と呼ばれるようになり、今ではこちらが広く知られている。
広重の絵は、紀伊国坂の途中から外堀、赤坂、溜池方面を見下ろし、坂を上って屋敷へ戻る紀州徳川家の行列を描いている。毛槍(やり)を手にする者を先頭に、多くの供侍(ともざむらい)たちが口を「へ」の字に曲げるほど力を込め、足を踏ん張るような独特の歩き方なのが印象的だ。
年月印から、描いたのは1857(安政4)年と思われる。紀州和歌山藩主は徳川慶福(よしとみ)で、後に14代将軍家茂(いえもち)となる。当時は将軍継嗣問題で、慶福を推す南紀派と、一橋徳川家の慶喜(よしのぶ、後の15代将軍)を推す一橋派の対立が激化していたが、一橋派重鎮で老中首座を務めた阿部正弘が亡くなった直後であり、南紀派優勢に傾きはじめた時期である。
広重は既に隠居して人気絵師となっていたが、38歳まで定火消同心職を務めた武士だった。この時期にあえて徳川慶福の行列を描いたのには、将軍継承問題あるいは幕藩体制に対して何らかのメッセージがあったのではないかと勘ぐってしまう。
写真は秋晴れの日の午後に撮影した。首都高速道路の下は薄暗く、遠景のビル群は南西からの日が当たってかなり明るい。光量の差が大きい被写体を一つの構図に収めるのは難しい。首都高速道路の影になっている部分に向け、さまざまな角度でフラッシュをたきながらシャッターを切った。人物の絵は身長を推測して、違和感のないように縮小して貼り付けて作品とした。
●関連情報
赤坂御用地、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)
紀州徳川家の屋敷跡は今、迎賓館赤坂離宮と赤坂御用地になっている。明治維新後に新政府が屋敷を接収し、皇室に献上した。1873(明治6)年に宮城内の御所が焼失した際には、新しい宮殿が完成するまで明治天皇の仮御所として使用された。後に大正天皇となる明宮嘉仁(はるのみやよしひと)親王の東宮御所となり、1909(明治42)年には絢爛(けんらん)豪華な西洋宮殿風の建物が完成。天皇に即位した後は、赤坂離宮となった。
第2次大戦後、赤坂離宮は国が管理し、国会図書館や1964年東京オリンピックの組織委員会が使用した。74年には外国からの賓客をもてなす迎賓館となり、2009年には「旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)」として国宝に指定され、16年からは通年で一般公開している。紀州徳川家屋敷の表門の一部を移築したという東門は紀伊国坂側にあり、往時の面影を残す。
迎賓館以外の土地は、今でも皇室関連施設である。大正天皇以降、昭和天皇、上皇陛下、天皇陛下のいずれの皇太子時代も、東宮御所は赤坂御用地に置かれてきた。令和という新時代を迎えたが、天皇陛下ご一家は御所の改修工事が終わるまで、この御用地内の赤坂御所にお住まいになる。
2019(令和元)年10月22日、天皇陛下の即位礼正殿の儀の後に、祝賀御列の儀が行われる予定であったが、甚大な被害をもたらした台風19号の影響で11月10日に延期となった。旧江戸城から旧紀州徳川家屋敷の間を、天皇皇后両陛下の車列がパレードする日を楽しみに待ちたい。
浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。
浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」作品一覧はこちら