『玉川堤の花』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第31回

美術・アート

歌川広重「名所江戸百景」では第42景となる『玉川堤の花(たまがわつつみのはな)』。江戸の飲み水を支えた玉川上水沿いに咲く、幻の桜の花を描いた一枚である。

満開の桜並木は広重が描いた完成予想図

玉川上水は、羽村(現在の東京都羽村市)の多摩川から引いた水を、甲州街道の江戸の玄関口である四谷大木戸近くの四谷水番所まで届ける上水道であった。この四谷水番所からは暗渠(あんきょ、地下水路)で江戸市中各地へ飲料水として分配していたという。水番所の西隣は、玉川上水を挟んで南が高遠藩内藤家の下屋敷、北は甲州街道最初の宿場である内藤新宿だった。

内藤新宿は江戸に近く、岡場所(幕府非公認の遊郭)としてにぎわいを見せていた。さらに江戸からの客を増やそうと、玉川上水沿いの堤にたくさんの桜を植えて新名所を作ろうと画策したそうだ。ところが、この私設の桜の木に無許可で「御用木(幕府の樹木)」と書いたことで幕府の怒りを買い、初めて花が咲く直前の2月に全て撤去されてしまったという。広重作の満開の桜は、事前に描かれた完成予想図で、この場所は実際には江戸名所にならなかったようだ。

写真は新宿御苑(ぎょえん)北側、かつての玉川上水を埋設して造られた道路で撮影した。広重が描いたのは新宿御苑新宿門付近といわれるので、道の左側に桜の木を探してみたが、160年たった今でも見当たらない。元絵の水路のように道がカーブし、右側に桜が見える大木戸門付近で写した一枚を作品とした。

●関連情報

新宿御苑の花見

新宿御苑は、江戸時代には信州高遠藩主・内藤家の下屋敷があった場所である。明治12年(1879年)宮内省管理の新宿植物御苑として開設され、第2次大戦後の昭和24(1949)年に一般に解放され、現在は環境省管轄の国民公園になっている。

1万本を超える樹木が植えられ、中でも65種1300本とされる桜が咲く、春の見事な景観は有名だ。3月下旬から4月下旬は休園日もなく、毎年多くの花見客が訪れている。開園時間は午前9時から午後4時で、酒類の持ち込みも禁止されているため、夜桜の下で酔って騒ぐ宴会のような花見をする場ではない。春の日差しの中で桜の花を見ながら、家族や友人たちと会話や弁当を楽しみたいという人におすすめの公園である。

浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」——広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。

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