『王子装束ゑの木大晦日の狐火』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第26回

歌川広重「名所江戸百景」では第118景となる『王子装束ゑの木大晦日の狐火(おうじしょうぞくえのき おおみそかのきつねび)』。大晦日に狐が集まり、初詣へ行列で向かうという幻想的な1枚である。

狐が集まった大木に、今は世界中の人が集う

王子稲荷神社は古くから関東稲荷総司とされ、江戸時代には幕府の祈願所の一つに定められていた。東日本で最も格が高い稲荷神社といえよう。

伝承では、大晦日の夜、稲荷神の使いである狐が東日本各地から王子に集まったそうだ。王子稲荷神社近くの榎(エノキ)の下で装束を整えてから、行列になって初詣をしたという。そのため、身支度をしたとされる大木は「装束榎」と呼ばれるようになったという。広重の元絵は、狐たちが装束榎の下に集まり、口から狐火を出しているという幻想的な光景だ。

地元の人の話によると、昭和初期の道路拡張によって装束榎は切り倒されたそうだ。その後、地域ではいくつかの不幸が起こったことで、祟り(たたり)と恐れられた。そして、新たな榎の木を植え、その横に装束稲荷神社を建てたのだという。

現在、大晦日から正月にかけて「王子 狐の行列」というイベントが地元民を中心に開催されている。写真は2016年大晦日、装束稲荷神社前に集まった人々を撮影したものだ。社殿の左に見えるのが現在の装束榎であるが、周りには訪日観光客の姿も多かった。当節、榎の下には世界各地からの見物客が集まっているようだ。

●関連情報
王子 狐の行列

現在の王子は、古くは岸村と呼ばれていた。鎌倉時代末期に、領主が紀州熊野三山から「若一(にゃくいち)王子」を勧請し、現在の王子神社に祀(まつ)ったことで王子村に改称された。江戸時代、紀州で生まれ育った8代将軍の徳川吉宗は、故郷とゆかりがあって景観も似ていることから当地を好んだという。元文21737)年に飛鳥山を王子神社へ寄進し、桜を植えて庶民の遊楽地としたことから、江戸市中から多くの人々が訪れるようになったという。数々の絵草紙で王子が題材となり、装束榎の伝承も紹介された。落語の「王子の狐」も、こんな背景から生まれた話なのかもしれない。

1993年、大晦日の夜から元日にかけて装束稲荷神社から王子稲荷神社へ向かう「王子 狐の行列」が地元の有志によって始められた。今では一般参加者が増え、約100人が狐メイクと和装姿で行列を作る。世界中から集まる見物客は数千人に上り、土産物店で売られる狐の面などを身に付けて楽しんでいる。

浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」――広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。

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