『浅草田圃酉の町詣』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第24回
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酉の市の日は吉原の妓楼でも商売繁盛
広重の時代、浅草寺の北側は田圃の広がる場所だったようだ。古地図を見ると、その田圃の先には鷲明神(現・浅草鷲神社)と吉原があったことがわかる。
猫が登場していることで近頃人気がある元絵だが、実は吉原の妓楼の控部屋から夕方の鷲明神方面を眺めている。窓の向こうには、「酉の祭(とりのまち、現在の『酉の市』)」へ詣でる大勢の人たちが描かれている。部屋の中に目を転じると、畳の上には客からもらったのであろうか、熊手の形をした簪(かんざし)が並べられている。
「酉」は「取り」に通じることから、旅籠(はたご)、料亭、芸能、妓楼(ぎろう)などの「客を取リ込む」商売の人々が多く参詣したという。妓楼ひしめく吉原でも酉の祭の日は特別で、非常門にいたるまで廓(くるわ)の全ての門が開け放たれたそうだ。遊女も大忙しだったろうから、元絵の状況はつかの間の息抜き時間だったのかもしれない。
かつての田圃はビルや住宅に変わり、吉原付近から鷲神社へ向かう人々の列を遠景で撮るのは難しい。そこで「一の酉」の日に吉原神社の前で脚立に登り、露店周辺に集まる人々を俯瞰(ふかん)で捉えた。
浅草鷲神社と酉の市
浅草鷲神社は地元では「おとりさま」と呼ばれ、今でも親しまれている。この地には、太古から天日鷲命(あめのひわしのみこと)が祀(まつ)られ、後に日本武尊(やまとたけるのみこと)合祀(ごうし)されたと伝わる。神仏習合だった江戸時代には、隣接する長国寺と同じ敷地内に祀られていたようだ。
11月の酉の日には、老若男女大勢の人が押しかける光景は変わっていないが、近年は海外からの観光客の姿も目立つ。鷲神社の境内には熊手店が約150軒も並び、威勢の良い三本締めがあちらこちらから聞こえてくる。周辺はかつての吉原の角町付近まで一般車両が通行止めになり、立ち並んだ露店からおいしそうな匂いが漂ってくる。
浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」――広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。