『猿わか町よるの景』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第19回
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芝居の余韻と中秋の名月に浸る見物客たち
江戸末期には、中村座・市村座・森田座(後に守田座に改称。または河原崎座)という歌舞伎の江戸三座や、人形浄瑠璃の薩摩座や人形劇の結城座など、浅草寺の北東にある猿若町(現台東区浅草6丁目付近)に芝居小屋が集まっていた。当時の芝居公演は、防火対策と風紀取り締まり上の理由から昼間に限られていたので、早朝から始まって日暮れ前には終幕となったようだ。見物客は芝居がはねた後、周囲の茶屋で食事をしたらしく、夜の猿若町は大層なにぎわいを見せたという。
元絵は秋の景として描かれているので、旧暦8月15日の「中秋」を描いたと思われる。遠近法と月の明かりが作る人影が秀逸で、ゴッホの「夜のカフェテラス」にも影響を与えたそうだ。
写真を撮る前にロケハンをしたのだが、現在の浅草6丁目は元絵の雰囲気とは程遠かった。そこで満月の夜に、近くに劇場や寄席がある浅草六区通りで撮影した。観光客や飲食を楽しみに来た人たちでにぎわっており、灯篭(とうろう)風の街灯も江戸風情を醸し出していた。
浅草演芸ホール側からだと道は南東に伸びているので、満月が低い位置からよく見えた。道行く人々が、「満月がきれいだね」と楽しそうに語り合いながらカメラの前を通り過ぎる。街灯のなかった江戸時代は、満月の明かりは今と比べようがないほどありがたく、気分もさぞ高揚したのではないかと思う。
中秋の名月
旧暦では7月から9月が秋とされ、8月15日はその真ん中にあたるので中秋といわれる。月齢では必ずしも満月ではないが、ほぼ真ん丸に近い月が見られる日である。中国では唐代(618〜907年)から月見をして祝ったといわれ、現在でも中秋節は祝日になっている。
日本では、平安時代の貴族が中秋の名月を愛(め)でるようになったという。丸い団子を供えて月見をする風習は、江戸時代中期頃に世俗化したようだ。8月14日の待宵(まつよい)、8月16日の十六夜(いざよい)、9月13日の宵の十三夜(よいのじゅうさんや)など、日本語には秋の月を愛でる言葉がいくつもある。しかし、近年は団子を供えて月見をする人も少なくなってしまった。
浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」――広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。