『京橋竹がし』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第17回

歌川広重「名所江戸百景」では第76景となる『京橋竹がし(きょうばし たけがし)』。満月に照らされた京橋と竹河岸(たけがし)を描いた1枚である。

埋め立てられた川の上を通る高速道路に竹河岸を重ねる

江戸時代、東海道の起点・日本橋から京都に向かう場合に、最初に渡る橋なので「京橋」と名付けられたという。元絵は、京橋とその下を流れる京橋川沿いの竹河岸(竹材の市場)の情景を、満月の夜景として描いている。京橋近くの常盤町に住んでいたといわれる広重にとっては、見慣れた風景だったであろう。川沿いにぎっしりと立てかけられた竹を美しいパースペクティブ(遠近法)で描き、手前の橋を見事に浮き立たせている。

秋(旧暦79月)の景とされているので、中秋(旧暦815日)の満月だと思っていた。しかし、橋を渡る男たちが大山詣り(旧暦627日〜717日)から持ち帰った梵天(ぼんてん)を担いでいるので、この満月は715日頃だという説がある。旧暦715日といえば盂蘭(うら)盆の中日にあたるので、男たちはそれに間に合うように大山詣りから慌てて戻ってきたのかもしれない。

写真は、現在の「銀座通り口」交差点の北詰、東京高速道路の下で撮影したものだ。川は埋め立てられ、現場には橋もない。何とも無粋だと思ったが、高速道路のフェンスを信号の色が染めることに気付いた。そのフェンスを連なる竹に見立てて、広角レンズでパースペクティブを強調した上で、青信号の光が反射した画像を作品とした。

●周辺情報
京橋

京橋は、江戸幕府が架けた御入用橋で、親柱には宝珠形の装飾「擬宝珠(ぎぼし)」が設置されていた。これは重要な橋の証しで、江戸では城へ渡る橋以外には、日本橋、京橋、新橋だけに擬宝珠が飾られていたという。

1875(明治8)年に木造の橋から、石造アーチ橋へと架け替えられた。その後、1905(明治38)年、1922(大正11)年に架け替えられ、1959(昭和34)年に京橋川が埋め立てられた。今でも、1875年築の2基の親柱と、1922年築の1基の親柱が歩道に残されている。

京橋という町名は1931(昭和6)年になって誕生した。現在の京橋は大企業が数多く存在するオフィス街で、ブリヂストン美術館や数々のギャラリー、骨董(こっとう)品店もあるので文化の香りがする地域である。竹河岸があった辺り、中央通りの東側で高速道路の北側に沿った通りが、2012(平成24)年に「京橋竹河岸通り」と命名された。

浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」――広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。

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