『角筈熊野十二社俗称十二そう』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第15回

歌川広重「名所江戸百景」では第64景となる『角筈熊野十二社俗称十二そう(つのはずくまのじゅうにしゃ ぞくしょうじゅうにそう)』。かつては水辺に囲まれた新宿の熊野神社は、今や高層ビルに囲まれている。

日本水道発祥の地から高層ビル街へ変貌

新宿追分(現 新宿三丁目交差点)から西、青梅街道と甲州街道の間は、かつて角筈(つのはず)と呼ばれていた。

現在の新宿中央公園の一角に鎮座する「新宿十二社 熊野神社」は、室町時代の応永年間(13941428)に商人の鈴木九郎が創建したと伝わる。鈴木の故郷である紀州熊野から三所権現、四所明神、五所王子の十二所権現を全て勧請したため、角筈熊野十二社と呼ばれていたという。

広重の時代には西に二段の池、東に滝が隣接し、周囲には茶屋や料亭が立ち並び、夏には多くの人々が涼を求めて集まったといわれる。元絵は、左下に熊野神社の社殿、右に大池(二段の上の池)、その周りで涼をとる人々が描かれている。

池のあった場所は今では埋め立てられて道路になっているが、東側の新宿中央公園には「水の広場」「ナイヤガラの滝」など水の流れる場所がある。暑い夏の日のランチタイムには、周囲のオフィス街で働く人々が涼んでいるのを今でも見かける。

新宿中央公園内のエコギャラリー新宿という建物の上から見た眺めこそ、広重の目線だと思われたので、事務所に頼んで下見をさせてもらった。しかし大きく育った樹木により社殿は全く見えず、やむなく熊野神社に近づいて社殿を左下に配置して撮った写真を作品とした。

●周辺情報
西新宿

西新宿は高層ビルが立ち並び、副都心として知られている。かつて角筈村と呼ばれた風光明媚な場所が、大きな変化を見せたのは明治期だ。江戸の水道は玉川上水、神田上水によって支えられてきたが、東京の水質が悪化したので、近代的な浄水設備が必要となった。1894(明治31)年、広大な敷地を持つ淀橋浄水場が竣工。これにより十二社東にあった滝の多くが消えたという。

その後、新宿は交通の要所となり、新宿副都心計画が進められた。1965年に浄水場が移転すると、1971年の京王プラザホテル竣工を皮切りに、高層ビルの建築が相次ぐ。1991(平成3)年には東京都庁舎が移転。今日の巨大な商業地域へと変貌したのである。

浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」――広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。

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