『井の頭の池弁天の社』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第12回

歌川広重「名所江戸百景」では第87景となる『井の頭の池弁天の社(いのがしらのいけべんてんのやしろ)』。現在は「井の頭恩賜公園」として、東京都民の憩いの場として人気の「井の頭池」が描かれた一枚である。

江戸の飲み水が湧く「井の頭池」を鳥瞰

江戸時代、井の頭恩賜公園の池の辺りに、徳川将軍家及び御三家の鷹場(たかば)があった。3代将軍・家光が鷹狩りに訪れた時に、江戸の上水の根源にあたることから「井の頭」と命名したと言われている。

広重の絵では、左下に小さく弁天の社が描かれた構図になっている。おそらく大盛寺(井の頭弁財天の別当寺)から弁天の社につながる石段の上から眺めたものと思われる。今でも石段の両脇に、日本橋小舟町の商人たちが文化年間(18041818)に寄進した石灯篭が残っていて、往時を偲ぶことができる。

しかし、実際にその場に立って池の方を眺めてみると、手入れされていない樹木が鬱蒼としていて弁天の社も池も全く見えない。

仕方なく弁天に渡る橋の際に、脚立を立てて俯瞰し、超広角レンズで撮影した。脚立の上から超広角を使っても、弁天の社はかなり大きく写ってしまう。育ち放題の樹木に遮られて池も良く見えなかったが、何とか水面が見えているこの写真を作品とした。

●関連情報

井の頭恩賜公園

東京都武蔵野市と三鷹市にまたがる都立公園。名の由来は、江戸の町に飲み水を供給した上水道「神田上水(現在の神田川)」の源泉の地であるため、徳川家光が「井の頭」と名付けたという説が有力である。平安時代の創建と伝わる井の頭弁財天堂も、荒廃していたのを家光が再興した。

明治時代に井の頭池の一帯は宮内省の御用林となり、1917(大正6)年に恩賜公園として一般に開放された。現在の井之頭公園は、北側に若者の町・吉祥寺があるため、周辺にはおしゃれなカフェや雑貨屋などが多い。西側には「ゾウのはな子」で知られた「井の頭自然文化園」、南西側の西園には「三鷹の森ジブリ美術館」や競技場などもある。春には池の周りで桜が咲き誇ることで「さくら名所100選」にも選定されるなど、都民に人気のスポットとなっている。

浮世写真家 喜千也「名所江戸百景」――広重目線で眺めた東京の今
「名所江戸百景」は、ゴッホやモネなどに影響を与たことで知られる浮世絵師・歌川広重(うたがわ・ひろしげ)の傑作シリーズ。 安政3年(1856年)から5年にかけて、最晩年の広重が四季折々の江戸の風景を描いた。大胆な構図、高所からの見下ろしたような鳥瞰(ちょうかん)、鮮やかな色彩などを用いて生み出された独創的な絵は、世界的に高い評価を得ている。その名所の数々を、浮世絵と同じ場所、同じ季節、同じアングルで、現代の東京として切り取ろうと試みているのが、浮世写真家を名乗る喜千也氏。この連載では、彼のアート作品と古地図の知識、江戸雑学によって、東京と江戸の名所を巡って行く。

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