進化し続ける日本酒(13)— 地酒専門店の舞台裏: 有名店経営者に聞く—
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数々の日本酒がそろう地酒専門の酒販店は、情報の宝庫であり、消費者の良きアドバイザーだ。高級店と老舗が軒を連ね、外国人旅行者も多い東京・銀座に店を構える経営者に話を聞いた。
試飲できる地酒専門店もある
横浜市に本店を置き、東京都内に2店舗を構える「君嶋屋」。4代目社長の君嶋哲至(きみじま・さとし)さん(58)が、自ら酒蔵やワイナリーへ足を運び、造り手と会い、味を確かめ、納得したものだけを扱うセレクトショップだ。スペースが限られる銀座の店は、小容量を中心に、内容も厳選。約300種類の日本酒をはじめ、本格焼酎や自社で輸入したワインが所狭しと並び、立ち飲みカウンターでは小皿料理を食べながら日本酒を試飲する客で賑(にぎ)わっている。
初心者が酒を購入するとき、地酒専門店の存在は心強い。店員は酒の知識が豊富で、銀座君嶋屋は英語を話すスタッフも常駐している。アドバイスを受けながら選んだり、試飲しながら好みの酒を探したりすることもできる。
取材に応じてくれた君嶋さんは、毎年英国・ロンドンで開催される世界最大級のワイン競技会インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)に設けられているSAKE部門の審査員を務め、取材前日に帰国したばかりだという。社長業の傍ら、日本ソムリエ協会の副会長として「SAKE DIPLOMA」(※1)の講師を務め、三つのカルチャーセンターで20年間にわたって日本酒を教え、著名なフランス人パティシエ、ピエール・エルメ氏に日本酒の個人レッスンを行ったこともある。世界的視点で日本酒を語れる数少ない人物の1人だ。
この10年で、日本酒は大きく変わった。その原動力は、酒蔵の若い経営者が酒を造るようになったことだと君嶋さんは分析する。親の世代は経営に専念し、酒造りは杜氏(とうじ)や蔵人(くらびと)ら季節雇用のベテラン専門集団に任せていた。しかし、最近の後継者は大学や公的機関で理論と最新の技術を学んだ上で、自らが現場で酒造りに取り組むようになり、原料となる米の栽培から関わる例も増えている。「より良いものを造ろうとする若者たちの思いが、その結果、ファンも広がっているのです」。上質な原料と進化した技術で、若者が魂を込めて醸した日本酒は、過去にはない現代的な感覚とみずみずしい魅力を持ち、それまで日本酒に縁のなかった同世代の青年や女性、ワインなど日本酒以外の酒類を扱ってきた国内外の飲食のプロまでも虜(とりこ)にするようになった。
店のスタッフは酒の専門家
専門店の品ぞろえは店主の意向が色濃く反映され、「地域を限定する」、「若手蔵元の酒を中心にそろえる」、というように店ごとに大きく異なる。君嶋さんのテーマは「食のシーンに寄り添う酒」。おいしく食事することを選択基準として、「複雑で豊かなうま味はあるが、重過ぎず上品で、飲んだ後の印象が軽いこと」を理想ととらえて品ぞろえをしているという。
優れた地酒専門店は、蔵元の良きパートナーであろうと心掛ける。客の声をフィードバックし、飲食の流行を伝え、イベントを開催するといった、さまざまなバックアップを行う。君嶋さんは国内外で日本酒の試飲会を開催する他、フランスなど海外のワイナリーへ買い付けに行くときには日本酒の蔵元を伴うことが多い。「著名なワイン醸造家にはオーラがあり、同じ醸造家として刺激になると思います。何より旅行中に私と食事をする時間を通して、料理と酒の在り方を伝えたいのです」と君嶋さん。「食のシーンに寄り添う」とはどんな酒か、蔵元に体験してほしいと言う。近年、魅力的な日本酒が次々と生まれている背景には、蔵元と強いパートナーシップで結ばれた酒販店の功績も大きいのだろう。
個性的な品ぞろえで光る地酒専門店
地酒(地方の日本酒)が話題に上るようになったのは1970年代後半で、80年代に入って地酒専門と呼ばれる店が全国で誕生した。かつて酒の小売りには厳格な免許制度があり、個人商店しか酒を扱えなかったが、80年代から始まった規制緩和で大型店も免許が取得できるようになり、2006年に完全自由化。現在、大型スーパーやデパート、コンビニエンスストア、ディスカウントストアなど、約16万1400軒で酒は小売りされるが(2018年国税庁調べ)、酒販店は年々数を減らしている。大量仕入れによって安い売値で販売できる大型チェーン店に、個人商店は価格では太刀打ちできないのだ。そこで、少量生産の地酒と直接取引することで、他店にはない個性的な品ぞろえで勝負する店へと転身を図り、成功したのが地酒専門店だ。経営を引き継いだ君嶋さんが専門店を目指したのも、83年だ。
君嶋屋にはテレビのCMで流れているような有名銘柄は置いてないかもしれない。だが、他の店にはない個性的な酒や、量産されない希少な酒もある。「味にうるさい方、自分の好みを追求したい方は、ぜひ当店のような専門店に足を運んでみてください。運命の1本を見つけるお手伝いができると思います」と君嶋さんは呼び掛ける。
人を感動させる酒は平和へつながる
1892年、君嶋商店として横浜で創業。君嶋さんが子供の頃は、立ち飲みの男性客で賑わう庶民的な店だったという。当時、提供していたのは安い日本酒と合成酒を混ぜたものや、梅エキス割りなどの安酒。子供心に酒は酔うための道具にしか見えず、家業に魅力を感じなかったという。大学を卒業して会社勤めをしていた24歳の時、父の体調が思わしくなくなりやむなく4代目を継ぐが、バーで「満寿泉(ますいずみ)」(富山県)の大吟醸を飲んだことが転機となる。「フルーティーでエレガントで感激しました。こんな酒を扱えるなら店を継ぐのも悪くない」と思い直し、全国の酒蔵を精力的に回るようになった。
あまたの酒蔵やワイナリーを訪問した結果、味の違いは人にあると君嶋さんは結論付けた。「気候風土ももちろん関係ありますが、良い酒を生むのは人の情熱です。良い酒を造っている人はいい顔をしている。彼らは人を感動させたり、幸せな気持ちにしたいから酒を造る。画家や音楽家に通じるものを感じます」と君嶋さんは語る。店内には米国のロックバンド、エアロスミスの曲が流れている。君嶋さん自身、プロのロックミュージシャンでもある。君嶋さんが作詞した『日本酒が最高!』の歌詞に「武器はいらねえ!グラスを持とうぜ」という台詞(せりふ)がある。「ロックと酒で目指すのは世界平和。音楽や料理、酒を思いっ切り楽しんで感動している人は、争う気持ちにはなりませんから」とグラスに酒を注いだ。
会社データ
写真撮影=川本 聖哉
バナー写真:銀座の街角にあるガラス張りのセレクトショップ「銀座君嶋屋」。店内では数組のカップルが料理を食べながら、日本酒を試飲していた。
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(※1) ^ 「SAKE DIPLOMA」ワインを扱うソムリエを対象に、日本酒の知識を高めることを目的とした日本ソムリエ協会による認定制度