ニッポンの酒

進化し続ける日本酒(11)—味の決め手となる麹(こうじ)・「而今」(三重県)—

文化

日本酒の味の決め手ともいわれる微生物「麹菌」。酒造りにおける麹菌と発酵の関係について精緻な酒造りで定評のある三重県の蔵元に話を聞いた。

日本の国菌、「麹(こうじ)菌」

「日本酒が、主に米、水、麹からできていることをご存じの方は多いだろう。原料の中でも『麹(こうじ)』が酒の味わいを決める」と語る、『而今(じこん)』(三重県名張市)を造る蔵元に、麹にこだわる取り組みを語ってもらった。

「麹(こうじ)」は、カビの一種の微生物「麹菌」を、米や麦、大豆など穀物に繁殖させたもの。しょうゆやみそ、米酢など日本の伝統的な調味料を造るときにも不可欠だ。日本酒では、蒸した米に(麹菌を)繁殖させた「米麹(こめこうじ)」を使う。米麹は、奈良時代(710~794)にはすでに酒造りに使われていたとされている。麹菌は日本固有の菌として、2006年に日本醸造学会で「国菌」と認定されている。

完成した米麹。麹菌の菌糸が米粒の中まで伸びて繁殖し、外にも伸びている。提供=木屋正酒造)

軽やかな甘み、適度なうま味、爽やかな酸味、果物を思わせる香り。さまざまな要素が精妙に調和する酒は、初めて日本酒を口にする若い女性たちや外国人を魅了する。本数が少なく、扱っている酒屋が全国で30軒ほどと限られているので、1本の而今を仕入れるために行列になる。全国の名酒居酒屋は、「而今あります」という張り紙で日本酒ファンを誘う。「而今」は、当代きっての人気銘柄の1つである。

質のいい酒を造ることが酒蔵の本業

現在、木屋正(きやしょう)酒造6代目の蔵元(オーナー)で杜氏(とうじ)を兼任する大西唯克(ただよし)さん(43)が27歳で家業に就いたとき、造っていた酒『高砂』は、地元だけで売る評判の良くない酒で、売り上げは年々減少の一途をたどっていた。観光バスを誘致するなど努力を重ねるが、何をやってもうまくいかない。そんなとき、全国で高い評価を得ている酒『十四代』(山形県)を飲んで、その甘くて、綺麗で、フレッシュな味に心からおいしいと衝撃を受ける。「酒を売るために何をすべきか、ずっと悩んできましたが、その考え方が間違っていました。酒蔵の本業は酒造りです。お客さまに買っていただくためには、まず質のいい酒を造ることだと気が付いたのです」と当時を振り返る。

江戸後期(1818年)に創業した木屋正酒造。お伊勢参りの道「初瀬街道(はせかいどう)」沿いに酒蔵を構えている。創業時の木造の蔵に改装を重ね、現在も使っている

それまで杜氏や蔵人(くらびと)に酒造りを任せてきたが、自分も関わることに決め、3年後には杜氏と契約せず、自らが製造のリーダーに就任。あらゆる工程で徹底的に改善を重ね、仕事の精度を上げた。その最たるものが「麹造り」である。

複雑な工程を経る日本酒造りの中でも、麹造りは「一麹(いちこうじ)」と言われ、最も重要で技能が必要な仕事だとされ、杜氏や専門職の麹師などベテランが担当することが多い。「前任の杜氏から多くの手法を学んだ」と言う大西さんだが、経験があるがゆえに勘に頼って作業を繰り返すような姿勢には懐疑的で、科学的な根拠を基に、一つ一つの工程について最善の方法を模索していった。

大西さんに酒造りの経験はない。だが、酒蔵の後継者を対象とした研修機関、独立行政法人酒類総合研究所(旧・国税庁醸造試験所)で、酒造りの基本的な理論と技術を学んでから家業に入った。技術者の頭脳で労を惜しまず、自分が納得するやり方で理想を追求しようとした。こうして2005年、新しい銘柄『而今』が世に出た。その斬新な味を、日本酒ファンたちは新時代の名酒として受け入れた。

妥協しない麹造りが味の決め手

「麹次第で酒が決まる。どんな酒を造りたいか、杜氏の思想が反映されるのが麹造りだと考えています」と大西さん。

麹の主な役割は、米に含まれるデンプンを糖に変換することである。日本酒に限らず全てのアルコール飲料は、「酵母」という微生物が、糖を分解するメカニズムで造られる。ただ、ワインの主原料のブドウには糖分が多く含まれるため(そのままで)酵母が分解できるが、デンプンが主成分の米を(そのままの形で)酵母は分解できない。そこで麹の出す酵素の働きを利用して、一度デンプンを糖に変えてから、酵母によるアルコール発酵を行う。

「米からうま味を引き出したり、心地いい香りももたらしたりしますが、麹の性質によっては、好ましくないと感じる味や臭いが出てしまうこともあります」と大西さんは言う。そこで造り手は、目標とする日本酒を思い描き、その味になるような働きをする麹造りを目指す。大西さんは、「甘さとうま味、エレガントな香りがあって、苦みや渋み、えぐみは極力出ないような麹」をイメージしている。

麹室で、蒸した米の上に「麹菌」を振る大西さん。酒造りのハイライトとも言える麹造りは、ここから始まる。

麹室(こうじむろ)の中、手作業で米麹を育成していく。

麹造りは、酒蔵に設けられた「麹室」と呼ばれる保温された狭い部屋で、約2日間(大西さんは50時間)かけて行う。「私は“造る”というより栽培に近いと考えます」と大西さんは持論を展開する。

麹室の中、小数点以下まで米の温度を測り、見た目や臭い、手触りなど五感を駆使しながら、データもチェックして育ち具合を確かめる。

麹菌は、「種麹」とも呼ばれる麹の種だ。麹菌はメーカーから購入し、麹室の中に広げた蒸した米に、麹菌の胞子を振りかけて、米に繁殖させる。これを大西さんは「栽培」と例え、出来上がった麹を麹室から出すことを「収穫」と表現する。

「酒を造るのは、麹菌や酵母などの微生物です。私たち人間ができることは、生き物たちが快適な環境を整えてやることなのです」

主役は微生物!人間は環境を整えるだけ

微生物の環境づくりが、杜氏の役目だ。手法は千差万別だが、目的は麹菌が繁殖する成長段階に合わせて、最適な温度と湿度に保ちつつ、雑菌が好む温度や湿度は避けることだ。布で保温したり、かき混ぜて発散させたり、箱に小分けたりして、地道な作業を繰り返す。

温度に関していうなら、蒸した米に種麹を振るときは30.5℃、いったん29.8℃に下げ、木箱に盛るときは再び30.5℃に 、夜から翌朝までの12時間は43.0℃を保つなどと小数点以下までの精度を求める。精度を追求するために、蒸す前に米に水を吸わせる水分量も小数点以下で設定し、水に漬ける時間は、ストップウオッチで秒単位まで計測。全ての作業を、緻密な酒質設計の上で行っているのだ。

「妥協する気持ちは一切ありません。これからも自分が飲みたい理想の味を実現するために、もっと腕を磨いていきたいと思います。進化を見守ってください」

酒蔵の試飲室で、搾りたての酒をテイスティング

日本酒はこの10年で劇的に進化した。麹造りは、かつて見た目や匂いなどで出来具合を判断するしかなかったが、今では麹の酵素が蒸し米を分解する力を測定し、数値化することも可能になった。公的な研究機関からアドバイスを受けられるようになり、造り手たちが進んだ技術を共有することができたことも大きいだろう。しかし、最も大きな原動力は、若い造り手たちの、より良いものを造ろうという情熱だ。大西さんの作品を味わいながら、進化を実感したい。

「而今」とは、過去にも未来にもとらわれることなく、今の一瞬を生きよという意味の禅語。

バナー写真:出来上がった麹を乾燥させるために、手で渦のような模様を描く大西さん。良い麹は栗に似た香りがする。

写真撮影=山同 敦子

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