ニッポンの酒

進化し続ける日本酒(7)-「酸」で魅了する新時代の酒「仙禽」(栃木県)-

文化

世界の食通から熱い視線を浴びているSAKE。和食に限らず、さまざまな料理に合う新しいタイプのSAKEが登場したことから、ファン層が加速度的に広がっているのだろう。今回は、ソムリエ経験を持つ若い蔵元が取り組む、味への挑戦をリポートする。

タブーの「酸」をあえて出す逆転の発想

“酸”を売りに圧倒的な存在感を放つ酒蔵がある。「仙禽(せんきん)」銘柄を造る、せんきん(栃木県さくら市)だ。日本酒に含まれる酸の量を示す「酸度」の数値は、全国平均が1.1~1.5に対し(※1)、「仙禽」は2.0~2.3と高い。また、甘さ・辛さの目安となる「日本酒度」(プラスの値が大きいほどドライな味)は、全国平均が+1.46(※2)であるところ、「仙禽」は-2~-3。飛び抜けて甘酸っぱい酒だ。11代目蔵元(オーナー)薄井一樹さん(37)は、この個性的な酒に魅了されたファンから「酸の魔術師」と呼ばれている。

しかし、今から10年前、薄井さんが27歳の時に造った酒は、酸度の高さゆえに専門家から酷評され、「君の酸度計は壊れているのではないか?」と揶揄(やゆ)されたという。酸は雑菌が繁殖したり、管理が悪くて酸化が進んだりした場合に、酒に多く出る。酸度の高さは、技術レベルが低く、品質の悪い酒のバロメーターとされていたのだ。当時は、すっきりと端麗なタイプが流行していたため、酸の少ない酒を目指す造り手が多かった。「技術は未熟でしたが、酸は出てしまったのではなく、存在を知ってもらうためにあえて出した。確信犯です。蔵は消滅寸前でした」と、薄井さんは当時を振り返る。常識外れとされたほど酸の出た酒は、若い蔵元が起死回生を狙った、涙ぐましい奇策だった。

酸の効いた爽やかな日本酒「仙禽」を注ぐ薄井一樹さん。フランス料理やイタリア料理と合わせて、ワイングラスで楽しむのにふさわしい。撮影協力=「カフェ&ダイニングNiwa」(栃木県さくら市)

ワインソムリエが立て直す創業200年の酒蔵

創業は江戸後期の1806(文化3)年。薄井さんは1980年に11代目を継ぐべく蔵元の長男として生まれたが、「日本酒は年配男性のイメージ。かっこよくないと思っていた」と明かす。映画やテレビドラマで若い男女がしゃれた雰囲気でワインを楽しむシーンに憧れ、デートではワインを飲み、女性への贈り物にもワインを選んだ。コンテストで世界一の座を獲得したソムリエの田崎真也さんを尊敬し、大学を中退して「日本ソムリエスクール」(現、FBOアカデミー東京)で学び、飲食店でソムリエの経験を経て22歳で講師に就任する。先輩から「ワイン以外の酒類も学ぶべき」と言われて飲んだ日本酒「飛露喜(ひろき)」(福島県)に感銘を受けた。同時に、そのとき比べて飲んだ実家の酒の質の悪さに、大きなショックを受けたという。

折から、父の求めもあり、立て直しのために2003年に家業に就く。だが、経営は悪化の一途をたどっていく。安価な普通酒を大量生産し、銘柄をつけずに、大手酒蔵に薄利で販売していた。最盛期は約5000石(9000キロリットル)製造していたが、突然、取引を打ち切られたことが大きなダメージとなった。やむなく会社を清算して08年に新会社を設立。薄井さんが経営を一任され、山梨県の酒蔵で修業を積んでいた弟の真人さん(34)が杜氏(とうじ)に就任。上質な酒だけを手作業で丁寧に造る方針に転換して、兄弟2トップ体制で新たなスタートを切った。規模は思い切って縮小し、初年度に製造したのは、仕込みタンク3本分、わずか20石(3.6キロリットル)であった。

1806年創業の酒蔵は、日光へ続く奥州街道に面している。外壁は栃木県特産の大谷(おおや)石が使われている。

兄弟で目指す新しいSAKE

再出発の際、薄井兄弟が戦略として酸をテーマに選んだのは、食生活の変化に注目したからだ。「私たちと同じか、それ以下の世代の日本人で、和食だけ食べて育った人は少数派でしょう。親しんできたのは魚より肉。刺し身や煮物より、揚げ物やソテー。ケチャップやマヨネーズ、チーズの味にも慣れていますし、イタリア料理やフランス料理、エスニック料理も食べに行きます。そんな料理を食べるときに、日本酒には酸が足りないと感じていたのです」

酸は、白ワインの個性を決める重要な要素とされる。日本酒でも同様だ。酸味(酸っぱいという味)をもたらすだけでなく、酸には酒の味の骨格を形作ったり、味を引き締めたり、後味をすっきりさせたりする効果がある。従って酸の多い酒は、肉料理や揚げ物、バターを使った濃厚なソースを添える料理と抜群に相性がいい。ところが酸の少ない酒と、脂のある料理を合わせると、後味に脂が残って、もたつく印象になってしまう。とはいえ酸だけが多い酒は、味のバランスが悪い。そこで、フランス・アルザス地方やドイツの白ワインのような、それまでにはない果実をイメージする甘酸っぱい日本酒を、新時代の味として世の中に問うてみた。

麹米の手触りを確認する、11代目蔵元薄井一樹さん

父は経営については全てを任せてくれたが、甘酸っぱい酒は認めてくれなかった。「ジェネレーションギャップでしょう」と薄井さん。60代半ばの父親世代が慣れ親しんでいる味は、伝統的な和食。白身魚の刺し身やだしの効いた吸い物などは、酸の多い酒を合わせると、酒の味が強過ぎて、繊細な料理の味が分からなくなってしまう。淡泊な和食に、強い酸は邪魔者になる。

専門家や年配者からは否定されたが、思い切ってイベントに持ち込んで試飲してもらうと、「仙禽」のブースに若い女性の輪ができた。それまで日本酒をほとんど口にしたことのなかった女性たちが「あまーい、おいしーい!」「これなら好き!」と、歓声を上げながらグラスを空けていく。若い世代は薄井兄弟と似た食環境で育っている。しかも世評を気にしがちな男性とは違って、女性は自分の好みを追求することに貪欲で、新しいものにでも敏感に反応する。「仙禽」は無名だったが、彼女たちの求める味が具現化された酒だったのだろう。その後、年齢性別を問わず徐々に「仙禽」の名前は口コミで広がり、ワイン愛飲家や外国人にもファンを広げている。薄井さんの感性が求める味と、ソムリエとしての知見を基に創造した新しいタイプの日本酒は、新たな日本酒ファンも開拓したのである。

火入れ。瓶ごと63~64℃の湯に漬けて、一気に氷で冷やす「瓶燗火入れ(びんかんひいれ)」をする杜氏の真人さん。

崖っぷちの状態は脱し、製造量は10年で100倍の約2000石(360キロリットル)と躍進したが、醸造技術の低さや衛生管理の不備による酸は排除するよう徹底している。薄井さんは「キラキラと輝くように透明で、滑らかな印象の酸を出したい。良いタオルは素材やデザイン、機能性が優れているだけでなく、肌触りも気持ちいい。それと同様に、飲んだときの質感も大切にして、より上質なものを目指したいと思います」と、決意を語る。

酸化を防ぐため、搾(しぼ)る場には冷蔵設備が入っている。写真は、酒袋にもろみを入れて、雫(しずく)を集める「袋づり」「雫取り」などと言われる搾り方で、主に高級酒を造るときの方法。

今、薄井兄弟が掲げる醸造哲学は「原点回帰」。象徴的なのは、生酛(きもと)(※3)という古式の酒造りをする「ナチュール」シリーズだ。生酛は、通常使う乳酸を後から加えず、乳酸が自然に湧くのを待つ製法で、骨格のしっかりとした酸の豊かな酒ができるとされる。だが「酛擦(もとす)り」という重作業を伴う。究極の手作業による酒造りと言えるだろう。また使う米は、近隣の農家が無農薬で栽培する酒米の原点とされる品種。さらに、現代で良質な酒といえば精米歩合60%以下(数値が小さいほどたくさん削る)が常識とされる中で、精米歩合90%と玄米に近い。しかも酵母さえ加えず、仕込み水は米を栽培した水と同じ水系。発酵は昔ながらの木桶で行う。土地の恵みを原料に、徹底した手作業で酒造りをするという、地酒としての原点を追求しようとしている。

半切りと呼ばれる浅い桶(おけ)に入れた酛を櫂(かい)で擦る「酛すり」作業の様子 (写真提供=せんきん)

(※3) ^ 生酛(きもと)

江戸時代に完成された伝統的な技術。酒蔵に生息する乳酸菌を利用して天然の乳酸をじっくり育てる。乳酸を添加する場合と比べると3倍以上の1カ月~40日ほどの日数を要する。

 

左から「ナチュール」「モダン」「クラシック」。それぞれのシリーズとも品種が違う酒米を使って展開している。「仙禽」は鶴の異名で、「ナチュール」のラベルは折り紙の鶴を表している。

「私たちは逆境の中で常識外れの酒を出した。いわばバックギアでのスタートでした。共感してくださる方を得て、いま加速して走っています。これからも仙禽への期待を裏切ることなく、エッジが利いた新しい日本酒を提案し続けていきます」と薄井さんは熱く語る。甘酸っぱくジューシーで切れがいい「モダン」、酸とうま味のバランスが秀逸な「クラシック」、自然な酸が弾ける生命力に満ちた「ナチュール」。「仙禽」は、異なる食文化や環境で育った世界の人々の心も捉えるに違いない。

バナー写真:11代目蔵元で専務取締役の薄井一樹さん(右)、杜氏で常務取締役の真人さん(左)。「ナチュール」は背景の木桶で仕込む。
写真撮影=山同 敦子

(※1) ^ 国税庁調べ。2015年2月発表。

(※2) ^ 国税庁調べ。2018年2月発表。

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