信州・小布施「桝一市村酒造場」の蔵人の朝ごはん
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<献立>
- 玉子
- 漬物
- 白飯
- 味噌汁
北信五岳を遠景に、北信濃の清涼な風景が広がる長野県小布施町。里山に抱かれたこの小さな町に、宝暦5年(1755年)創業の蔵元「桝一市村酒造場」がある。蔵では11月から3月にかけてが、酒造りのシーズン。この間、桝一では「蔵人」と呼ばれる職人が泊まり込みで、一日刻みの工程を寡黙にこなしていく。
酒造りは奥深い。蔵人は「杜氏(とうじ)」を頂点に、「頭(かしら)」「麹屋(こうじや)」「酛屋(もとや)」「船頭(せんどう)」「精米屋」という職能に分かれ、それぞれが責任をもって持ち場を回していく。桝一には「碧漪軒(へきいけん・大吟醸純米生酒)」「鴻山(こうざん・大吟醸純米生酒)」「スクウェア・ワン(純米酒)」「白金(はっきん・純米酒山廃桶仕込)」という四つの銘柄があり、それぞれに異なる原料米と製法が採られている。
その複雑な工程のリズムを作るのが、朝、昼、晩の飯だ。蔵人のために設けられた「寄り付き(休憩所)」で、こたつにあたりながら「まかない」を囲む時間は、文字通り同じ釜の飯を食いながら、酒造りの絆を深めていく大事なひと時だ。
寄り付きのまかないは、四半世紀前までは蔵元当主の女房の仕事だった。
「新暦、旧暦の大晦日の食事は、家族も蔵人も一緒に食べるのがならわし。私が中学生だった昭和30年代ごろまではそうでしたね」と、17代当主の市村次夫(69)は振り返る。
日本酒の蔵元はその後、昭和50年代に大量生産と効率化の波に洗われることになる。全国の蔵元が静かに、そして次々と姿を消していく中、生き残るには、大量生産を極めるか、稀少価値を高めるか、二つの道しかなかった。その大波の中で桝一が選んだのは後者。
「四つの銘柄酒は、『ラベルが違えば味が全部違う』というポリシーを持って造っています。もろみ造り用の『掛米』も、コストの高い酒造好適米を使い続けていますし、きわめて生産効率の悪いやり方だと思います。でも、そこに価値を置くことが、自分たちが酒造りを続ける意味だと思うのです」(市村)
桝一と同じ敷地内には、明治時代に創業した栗菓子の「小布施堂」とその工場、「小布施堂本店レストラン」をはじめ複数の飲食店が存在する。栗の木レンガが敷かれた「栗の小路」や笹庭、市村家本宅内の通り抜けで、自由に行き来できる界隈は、重層的な歴史を伝えながら、訪れる人を大らかに迎える。
数年前までは、酒造りの季節を知らせる「酒林(通称・杉玉)」作りなど、界隈の職人仕事を担う職人頭の女房が、蔵のまかないも作ってくれていた。彼女が高齢で引退した今は、昼と夜に小布施堂本店レストランからまかないが届く。蔵人が泊まり込みに使う個室は、米国人デザイナーのジョン・モーフォードの設計。酒造りが厳しい時勢にあって、そのような環境を持つ蔵元は、他にないのではないか。
そんな桝一の朝ごはんは、まだ空の明けないうちに食べる男飯。蔵人が前夜に仕込んだ白ご飯に味噌汁、生玉子、漬物でさっと済ませ、冬の一日に向かう。
(文中敬称略)
取材・文:清野由美 撮影:猪俣博史
<情報>
桝一市村酒造場
〒381-0294 長野県小布施町807
電話 026-247-2011
ファクス 026-247-6369
ウェブサイト http://www.masuichi.com/
メール info@masuichi.com