ニッポンの城

【日本100名城®】鹿児島県・鹿児島城

歴史

鹿児島城は、南九州で長く勢力を誇った島津氏の居城。平野部に建てられた城主の居館と背後の城山からなる平山城で、鶴が羽を広げたような形から鶴丸城の別名がある。19世紀の日本最後の内戦、西南戦争の終結の地としても知られる。

鹿児島県・鹿児島城

  • 築城年:1601年ごろ
  • 初代城主:島津家久(しまづ・いえひさ)
  • 主な見どころ:御楼門(復元)など
  • 料金:無料
  • 所在地:鹿児島市城山町7-2
  • 公式HPなど:鹿児島(鶴丸)城跡

西南戦争の銃弾痕も残る日本最大級の城門

鹿児島城は、12世紀の鎌倉時代から続く南九州の武家の名門、島津氏の第18代当主で、徳川幕府の下で薩摩藩の初代藩主となる家久が築いた。城の表玄関の御楼門(ごろうもん)は、屋根の上までの高さが約20メートルで、国内最大級の城門。1873年に火災で焼失したが、2020年に復元された。

門の周辺の石垣には、無数のくぼみがあり、1877年の西南戦争当時の砲弾や銃弾の破片が残っているものもある。明治維新で活躍した地元の英雄、西郷隆盛は、熊本、宮崎で明治政府軍との戦いに敗れ、鹿児島城を最後の戦いの地として帰郷したが、約5万人の政府軍の包囲を受けて城山で自決した。城山の周囲には、西郷が立てこもった洞窟や、西郷隆盛終焉(しゅうえん)の地の石碑などが残っている。

西南戦争の痕跡が残る石垣(PIXTA)
西南戦争の痕跡が残る石垣(PIXTA)

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バナー写真:鹿児島城の御楼門(PIXTA)

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