【日本100名城®】愛媛県・大洲城
Guideto Japan
旅 歴史
大洲城は、14世紀の伊予国(現在の愛媛県)守護の宇都宮豊房(うつのみや・とよふさ)が築いたといわれる。19世紀の江戸時代以前に姿を現代に伝える4つの櫓(やぐら)が重要文化財に指定されている。
- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
愛媛県・大洲城
- 築城年:1331年
- 初代城主:宇都宮豊房
- 主な見どころ:台所櫓、高欄(こうらん)櫓、苧綿(おわた)櫓、三の丸南隅櫓(以上、重要文化財)など
- 料金:共通券(臥龍山荘・大洲城)880円(大人)
- 所在地:愛媛県大洲市大洲903
- 公式HPなど:大洲城
史料研究により正確に再現された天守
大洲城は、肱川と久米川の間にある標高約40メートルの高台に築かれた平山城。1331年に伊予国の守護、宇都宮豊房が築城した当初は「地蔵ケ岳(じぞうがたけ)城」または、元の地名から「大津城」と呼ばれていた。200年以上居城としていた宇都宮氏が、1568年に滅亡。1585年に豊臣秀吉が四国を平定すると豊臣方の武将が次々に城主を務め、城を改修していった。1595年には、築城の名手として知られる藤堂高虎(たかとら)が城主となり、城郭の形を整えた。高虎は大洲城の改築と並行して同じく100名城に選定されている今治城の築城工事も行っている。高虎が伊賀に領地替えになった後を継いで1609年に城主となった脇坂安治(わきざか・やすはる)の時代に城は完成した。大津から大洲に地名を変更したのは安治だという説もある。
大洲城の天守は1888年に取り壊されたが、台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓は解体を免れ、現代にその姿を伝えている。また、古絵図、古写真のほか、19世紀以前に造られたとみられる模型などの史料が残っていたことから、2004年に往時の姿が正確に木造で復元された。
愛媛県の城
一緒に楽しめる観光スポット
バナー写真:大洲城と橋を渡る列車(PIXTA)