【日本100名城®】愛媛県・松山城
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旅 歴史
松山城は現存12天守の1つ。豊臣秀吉の配下の武将、加藤嘉明(かとう・よしあき)が標高130メートルの勝山の山頂に城を築いたのが始まりで、松山という地名も嘉明の命名。21棟の重要文化財が残っている。
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愛媛県・松山城
- 築城年:1602年
- 初代城主:加藤嘉明、蒲生忠知(がもう・ただとも)
- 主な見どころ:大天守、小天守など重要文化財21棟など
- 料金:松山城天守観覧券520円(ロープウエー・リフト往復券520円)
- 所在地:松山市丸之内1
- 公式HPなど:松山城
現存天守をはじめ21の重要文化財を持つ松山の象徴
松山城を造った加藤嘉明は、豊臣秀吉の配下として頭角を現し、関ケ原合戦で活躍して伊予国(現在の愛媛県)の領主となった。嘉明は約25年かけて松山城の整備に努めたが、会津に領地替えとなり、次の城主である蒲生忠知の手で完成された。しかし、忠知は短期間で病没し、蒲生家は断絶。松山城主の座は徳川家の親藩である松平家が引き継ぐことになる。このため、松山城の天守には、徳川家とゆかりのある「丸に三つ葉葵」(三つ葉左葵巴=みつばひだりあおいどもえ)の紋章が飾られている。
松山城は、1784年に落雷で焼失しており、現在の天守は1852年に再建されたものだ。日本で現存している望楼型二重櫓(やぐら)で天守の原型といわれる野原櫓や、築城当初から残る乾(いぬい)櫓など、21棟が国の重要文化財に指定されている。
松山城では、山頂の天守まで4本の登城道が整備されているほか、日中はロープウエーまたはリフトも運航されている。
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バナー写真:松山城(PIXTA)