【日本100名城®】山口県・岩国城
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旅 歴史
岩国城は中国地方の覇者、毛利氏の分家に当たる吉川氏が築いた山城。世界でも珍しい5連アーチの木造橋として知られる錦帯橋(きんたいきょう)は、麓にある城主の居館と城下町をつなぐために造られた。
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山口県・岩国城
- 築城年:1608年
- 初代城主:吉川広家(きっかわ・ひろいえ)
- 主な見どころ:天守(再建)、旧天守台など
- 料金:入城料270円(大人)
- 所在地:山口県岩国市横山3丁目
- 公式HPなど:岩国城(岩国市公式観光Webサイト)
築城7年で取り壊された桃山風南蛮造りの城
岩国城を築いた吉川広家は、中国地方の覇者といわれた毛利元就(もうり・もとなり)の孫に当たる。分家の吉川家の当主となり、毛利氏を守ることに尽力した。広家は、関ケ原の合戦の前に、領地の維持と毛利氏の存続を条件に徳川方の東軍に味方することで調整していたが、本家の毛利輝元が西軍の総大将となってしまい、西軍に入らざるを得なくなった。しかし、実質的に毛利の軍勢を指揮していた広家は、徳川方と内通して兵を動かさないことで、東軍の勝利に貢献したともいわれる。その後、敗北した西軍の幹部でありながら、毛利氏は領地を縮小したものの存続を許され、毛利氏は萩城に、吉川氏は岩国城を築いて本拠地を移すことになった。
岩国城は、蛇行を繰り返す錦川に守られた標高200メートルの城山の上に築かれた。3層4階の天守は、下の階より上の階が大きく張り出している桃山風南蛮造りという珍しい様式だったが、徳川幕府の一国一城令により築城7年後に取り壊された。現在の天守は1962年に再建されたもので、吉川家ゆかりの品などが展示されているほか、展望台からは蛇行する錦川と岩国市街の眺望を楽しむことができる。麓の居館跡と錦川の対岸を結ぶのが、世界的にも珍しい5連のアーチの木造橋「錦帯橋」で、城と共に地域のシンボルとして知られている。
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バナー写真:岩国城(PIXTA)