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【日本100名城®】岡山県・岡山城

歴史

特徴的な黒い外観から「烏城」(うじょう)の別名を持つ岡山城。16世紀末に豊臣秀吉の重臣だった宇喜多秀家(うきた・ひでいえ)が築城した。大規模改修を終えて2022年11月にリニューアルオープンした。

岡山県・岡山城

  • 築城年:1597年
  • 初代城主:宇喜多秀家
  • 主な見どころ:月見櫓(やぐら)、西の丸西手櫓(以上、重要文化財)、天守(再建)
  • 料金:400円(大人)
  • 所在地:岡山市北区丸の内2-3-1
  • 公式HPなど:岡山城ウェブサイト

黒漆塗りの下見板が特徴的な「烏城」

岡山城は、豊臣秀吉の重臣、宇喜多秀家が1597年に秀吉の指導を受けて旭川(あさひがわ)沿いに築城した。天守の壁には黒漆塗りの下見板が取り付けられており、「烏城」とも呼ばれるほか、屋根に金箔(きんぱく)瓦が使われていることから「金烏城」(きんうじょう)の別名もある。

秀家は、豊臣秀吉の下で数々の戦功を挙げ、現代の兵庫県西部、岡山県、広島県東部までの広大な領地を任され、徳川家康、前田利家(まえだ・としいえ)、毛利輝元(もうり・てるもと)、上杉景勝(うえすぎ・かげかつ)と並んで五大老となった。しかし、主力として参戦した関ケ原の戦いに敗れて八丈島に流刑となり、現地で約50年を過ごして84歳で亡くなった。次の岡山城主は、関ケ原の合戦中に西軍から東軍に寝返ったことで知られる小早川秀秋(こばやかわ・ひであき)だったが、入城後2年で病没した。

1603年、姫路城を築いたことで知られる池田輝政と徳川家康の娘の子、池田忠継(ただつぐ)がわずか5歳で城主になった。実質的には輝政が隣の姫路城から岡山も治めていたという。その後は19世紀に徳川幕府が滅亡するまで代々池田家が城主を務めた。池田氏の時代に、旭川の対岸に、城主のための広大な庭園として、日本三名園の1つ「後楽園」が造られた。

後楽園から岡山城天守閣を臨む(PIXTA)
後楽園から岡山城天守閣を望む(PIXTA)

築城当時の姿が現存している月見櫓と西の丸西手櫓が国の重要文化財に指定されている。天守は1945年の空襲で焼失したが、1966年に再建され博物館となった。2022年11に展示などを一新してリニューアルオープンした。

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