ニッポンの城

【日本100名城®】鳥取県・鳥取城

歴史

鳥取城は豊臣秀吉の兵糧攻めの舞台として知られるが、現在まで残る石垣は17世紀に池田氏が整備したもの。姫路城の築城に携わった職人たちを起用したことから「姫路城の弟城」とも呼ばれる

鳥取県・鳥取城

秀吉の兵糧攻めの舞台となった難攻不落の山城

鳥取城は戦国時代後期の16世紀中ごろに、久松山(きゅうしょうざん)に造られたのが始めといわれる。自然の地形を利用した山城で、織田信長も「堅固な名城」と評価したという。1581年、毛利氏配下の武将、吉川経家(きっかわ・つねいえ)が城主の時代、豊臣秀吉が兵糧攻めで攻略したことがよく知られている。約4カ月間の包囲戦で補給を断たれた城内では餓死者が相次いだことから、経家は部下の助命を条件に自害して降伏した。

その後、17世紀に徳川幕府の支配が確立すると、姫路城を築いた池田輝政(いけだ・てるまさ)の孫・光政(みつまさ)が城主となり、城の整備拡張を行った。姫路城の築城に携わった職人たちを起用したことから「姫路城の弟城」とも呼ばれる。19世紀に明治政府の命令により城の建物は全て取り壊された。現在は池田氏が整備した石垣を見ることができる。近年、復元工事が進められており、2018年に大手橋「擬宝珠橋」、2021年に「中ノ御門」が公開された。

復元された擬宝珠橋(PIXTA)
復元された擬宝珠橋(PIXTA)

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バナー写真:鳥取城跡(PIXTA)

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