【日本100名城®】滋賀県・小谷城
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旅 歴史
小谷城は北近江(現在の滋賀県)の戦国武将、浅井(あざい)氏3代の居城で地形を利用した守りの堅い城だったが、3代目の長政(ながまさ)の時代に、妻の兄の織田信長を裏切ったことで攻め滅ぼされた。
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滋賀県・小谷城
- 築城年:1525年ごろ
- 初代城主:浅井亮政(あざい・すけまさ)
- 主な見どころ:本丸跡、石垣、土塁など
- 料金:無料、小谷城戦国歴史資料館入館料300円(高校生以上)
- 所在地:滋賀県長浜市湖北町伊部
- 公式HPなど:小谷城戦国歴史資料館
浅井氏3代が本拠地とした山城
小谷城は、琵琶湖を望む標高495メートルの小谷山に築かれた山城で、西の高時川、背後の伊吹山系に囲まれた天然の要害だ。近江国を治めていた京極(きょうごく)氏の家臣だった浅井亮政が、1523年に京極氏の跡目争いに乗じて北近江を支配下に置いた。小谷城はこのころ築城されたと考えられ、その子の久政、孫の長政と浅井氏3代にわたる居城となった。
長政は、織田信長の妹、お市を妻としたが、同盟関係にあった越前の朝倉義景(あさくら・よしかげ)とともに信長に反旗を翻したため、1573年に攻め滅ぼされた。お市と3人の娘は落城寸前に豊臣秀吉に助け出された。後に、長女の茶々は秀吉の側室に、三女の江(ごう)は徳川幕府の2代将軍秀忠の妻となり、両家が対立した大阪の陣では、京極高次(たかつぐ)の妻となっていた次女の初が使者として奔走したという。戦国時代に翻弄(ほんろう)された浅井3姉妹の物語がよく知られている。
城跡に建物などは残されていないが、山麓の小谷城戦国歴史資料館では、浅井氏3代の歴史や、小谷城の構造などについての展示が行われている。
滋賀県の城
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バナー写真:小谷城 黒金御門跡(PIXTA)