【日本100名城®】愛知県・長篠城
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旅 歴史
長篠城は、2つの川が合流する断崖の上に建てられた難攻不落の城として知られる。武田氏と徳川氏がこの城を奪い合ったが、織田・徳川連合軍が多数の鉄砲を用いて武田軍を撃破した「長篠の戦い」で決着した。
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愛知県・長篠城
- 築城年:1508年
- 初代城主:菅沼元成(すがぬま・もとなり)
- 主な見どころ:本丸跡など
- 料金:無料、長篠城址史跡保存館は入館料220円(大人)(2024年4月時点)
- 所在地:愛知県新城市長篠字市場22-1
- 公式HPなど:国指定史跡長篠城跡の案内(新城市)
武田と徳川が奪い合った難攻不落の城
長篠城は、1508年に土豪の菅沼元成が豊川と宇連川(うれがわ)が合流する断崖上に築いた。当時の建物などは残っていないが、合流する2つの川を堀として巧みに利用した上に、土塁と内堀などで守りを固めた難攻不落の城であったことがうかがえる。
1573年に武田氏の支配下に入った菅沼氏を徳川家康が攻め落とした。1575年5月、武田信玄の後を継いだ息子の勝頼(かつより)が、西へ勢力を伸ばすために長篠城を攻撃。徳川方の城主として城を守っていた奥平貞昌(おくだいら・さだまさ)はわずか500人の兵で武田方の猛攻に耐えた。そこに織田信長と徳川家康が、約4万人の兵を率いて援軍として駆け付けた。こうして織田・徳川連合軍と武田軍が激突したのが、「長篠の戦い」である。信長が初めて数千丁の鉄砲を使用する戦術を採用して、戦国最強とうたわれた武田軍を撃破したことで知られる。城跡にある長篠城址史跡保存館には、「長篠の戦い」に関する史料が展示されている。
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バナー写真:長篠城跡(PIXTA)