【日本100名城®】静岡県・掛川城
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旅 歴史
16世紀末に築かれた掛川城は、貴族的な外観から「東海の名城」とうたわれていた。1854年に安政東海地震で大半が損壊。1994年に日本初の本格的な木造復元天守として再建された。その美しい姿は新幹線の車窓からも見ることができる。
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静岡県・掛川城
- 築城年:1512年ごろ、1590年
- 初代城主:朝比奈泰煕(あさひな・やすひろ)、山内一豊(やまのうち・かずとよ)
- 主な見どころ:天守(復元)、二の丸御殿など
- 料金:天守閣・御殿410円(大人・高校生以上)
- 所在地:静岡県掛川市掛川1138番地の24
- 公式HPなど:掛川城
150年の時を経てよみがえった「東海の名城」
掛川は東海道の東西交通の要衝であり、古くから多くの武将がこの地を巡って争ってきた。最初の城は今川義元(いまがわ・よしもと)が家臣の朝比奈泰煕に築かせたもの。義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれると、城は織田方についていた徳川家康のものとなる。その後、家康の領地が関東に移ると、豊臣秀吉の側近である山内一豊が城主となり、初めて天守を築いた。
掛川城の天守は外観3層、内部4層で、最上階の望楼部が小さいのが特徴で「東海の名城」として知られていたが、1854年の安政東海地震で損壊し、長く再建されずにいた。戦後、掛川市民の強い要望から復元が決定、1994年に日本初の本格的木造復元天守としてよみがえった。一豊が掛川から領地替えとなった先で築いた高知城の天守が現存しており、復元の際に参考にしたという。
一豊が高知に移った後は、徳川氏の家臣が次々に城主を務めた。安政東海地震の後、当時の城主、太田資功(おおた・すけかつ)が建てた二の丸御殿は当時のまま残っている。現存する城郭御殿としては、京都の二条城など全国で4カ所しかない貴重な建築物として知られる。
静岡県の城
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バナー写真: 掛川城天守閣(PIXTA)