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【日本100名城®】石川県・七尾城

歴史

七尾城跡は、能登国(現在の石川県北部)の守護・畠山氏が16世紀前半に築いた山城。7つの尾根にまたがる巨大な城であったことから七尾城と呼ばれるようになった。

石川県・七尾城

  • 築城年:16世紀前半
  • 初代城主:不明(畠山氏)
  • 主な見どころ:本丸跡、曲輪、石垣など
  • 料金:無料
  • 所在地:石川県七尾市古府町、古屋敷町、竹町
  • 公式HPなど:史跡七尾城跡(七尾市)

上杉謙信が絶賛した巨大山城

七尾城跡は、能登国の守護・畠山氏が16世紀前半に築いた山城。石動(いするぎ)山系の標高約300メートル付近に築かれた城の範囲は、南北約2.5キロメートル、東西約1キロメートル、面積は約250ヘクタールにおよぶ、全国屈指の規模を誇っていた。山麓から山頂まで自然の地形を巧みに利用し、7つの尾根に多数の砦(とりで)が連なっていたことから、七尾城と呼ばれるようになった。難攻不落の名城として知られていたが、1577年に上杉謙信(うえすぎ・けんしん)の攻撃を受けて落城し、能登畠山氏は滅亡した。しかし、生涯不敗といわれた戦国時代を代表する武将の謙信もこの城を落とすのは容易ではなく、陥落させるまでに1年間を要した。ようやく城に入った謙信は、景色の美しさに「聞きしに及び候(そうろう)より名地(中略)海頬(づら)嶋々の躰(てい)までも絵像に写し難き景勝までにそうろう」と感想を残している。謙信の死後、1581年に織田信長配下の武将が能登国の領主となり、港に近い位置に城を移したため、七尾城は廃城となった。

七尾市は2018年に「史跡七尾城跡保存活用計画」を作成し、山頂の本丸跡までの遊歩道の杉を剪定(せんてい)した。七尾南湾や能登島を一望できるようになり、謙信が絶賛した景観がよみがえった。

七尾城跡 本丸広場からの景色(PIXTA)
七尾城跡 本丸広場からの景色(PIXTA)

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