【日本100名城®】山梨県・甲府城
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旅 歴史
甲府城は、戦国時代に甲斐国(現在の山梨県)を支配した武田氏が滅亡した後、この地を治める拠点として新たに築かれた。17世紀以降は、徳川幕府の将軍の息子たちが城主を務めるなど特別な位置付けとされた。
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山梨県・甲府城
- 築城年:1590年代
- 初代城主:浅野長政(あさの・ながまさ)
- 主な見どころ:天守台石垣、稲荷櫓(いなりやぐら)=復元=など
- 料金:無料
- 所在地:甲府市丸の内1-5-4
- 公式HPなど:甲府城(甲府市)
徳川幕府の将軍の息子たちが城主を務めた城
戦国時代を代表する大名として知られた武田氏が滅亡した後、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、配下の武将の浅野長政・幸長(よしなが)父子に武田氏の居館とは別の新しい城造りを命じた。
城を完成させた浅野氏が城主となっていたが、1600年の関ケ原の戦いの結果、城は徳川の支配下に移る。家康の9男・義直(よしなお)、2代将軍秀忠(ひでただ)の次男、忠長(ただなが)など、将軍の座に就かない徳川家の子息が代々城主を務めた。1704年に甲府城の城主だった綱豊(つなとよ)は、子がなかった叔父の5代将軍綱吉(つなよし)の養子となり、6代将軍家宣(いえのぶ)となった。
白壁が重なり合う優雅な姿は、鶴が羽根を広げた様子に例えられ「舞鶴城」の別名があったが、現在では当時の建物は残っていない。しかし、東日本最大級といわれた石垣は健在。近年、発掘調査が進み、舞鶴城公園、甲府城歴史公園として整備され、稲荷櫓、山手御門などが復元されている。
山梨県の城
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バナー写真:甲府城の稲荷櫓と石垣(PIXTA)