ニッポンの城

【日本100名城®】千葉県・佐倉城

歴史

佐倉城は、徳川幕府の本拠地である江戸の東方を守る要として、徳川家康の重臣、土井利勝(どい・としかつ)が中世の城を整備拡張した。19世紀、幕末に開国政策を進めた老中・堀田正睦(ほった・まさよし)も佐倉城主だった。

千葉県・佐倉城

  • 築城年:16世紀中ごろ、1611年
  • 初代城主:鹿島幹胤(かしま・もとたね)、土井利勝
  • 主な見どころ:水堀跡、本丸跡、出丸跡など
  • 料金:無料
  • 所在地:千葉県佐倉市城内町官有無番地
  • 公式HPなど:佐倉城址公園について(佐倉市)

江戸の東を守る要の城

佐倉城は、16世紀中ごろに、千葉氏の一族である鹿島幹胤が築いたといわれる。徳川幕府の支配が確立した1610年に城主に任じられた土井利勝が整備・拡張した。北に印旛沼、西と南に鹿島川・高崎川が流れる低地に突き出した、標高約30メートルの台地の先端に位置しており、地形を利用した水堀、空堀、土塁などで守りを固めていた。江戸の東を守る要として、代々幕府の重臣が城主を務めて城下町が発展した。中でも、19世紀に佐倉を治めた堀田正睦は幕府の老中として開国を決断したことで知られている。

城の建物などは残っていないが、最後の城主が造った邸宅と庭園や、臣下が暮らした武家屋敷などが現存しており、当時の城下町の様子を知ることができる。

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バナー写真:佐倉城の空堀(PIXTA)

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