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【日本100名城®】福島県・会津若松城

歴史

東北の要衝に築かれた会津若松城は別名、鶴ケ城とも呼ばれ、有名な戦国武将が次々に城主を務めた。戊辰戦争では旧幕府軍の拠点として約1カ月に及ぶ激しい攻防戦に耐え抜いた名城として知られている。

福島県・会津若松城

  • 築城年:1384年(黒川城)、1593年(鶴ヶ城)
  • 初代城主:葦名直盛(あしな・なおもり)、蒲生氏郷(がもう・うじさと)
  • 主な見どころ:天守、干飯櫓(ほしいやぐら)、南走長屋(みなみはしりながや)、茶室「麟閣(りんかく)」
  • 料金:天守閣入場料410円(大人)
  • 所在地:福島県会津若松市追手町1-1
  • 公式HPなど:会津若松観光ナビ

戊辰戦争で1カ月の攻防戦に耐えた赤瓦の名城

室町時代の武将、葦名直盛が前身の黒川城を築いたのが会津若松城の始まりといわれている。東北地方の要衝であったため、戦国時代の名だたる武将がこの城を巡って争った。1590年に蒲生氏郷が黒川城に入城して大規模な改築を開始、1593年に7層の天守を完成させ、地名を黒川から若松に改めた。その後、上杉氏の時代を経て、1627年に加藤嘉明(かとう・よしあき)が藩主になると、天守を5層に改築、西出丸と北出丸を増築し、城は現在の形になった。1643年に徳川幕府の3代将軍家光の弟、保科正之(ほしな・まさゆき)が会津藩主となって以降、会津と徳川家の関係は近くなり、戊辰戦争では旧幕府軍の中心勢力と見なされ、新政府軍から激しい攻撃を受けた。攻城戦は約1カ月に及び、新政府軍の猛攻に耐えた名城として、その名を天下に知らしめたが、1874年に全ての建物が取り壊された。

会津若松市民の強い要望により、城は1965年に再建。2000年には天守に続く建物「干飯櫓・南走長屋」が江戸時代の工法・技術を用いて復元された。2011年には天守の瓦を幕末当時と同じ「赤瓦」にふき替え、往年の姿を取り戻した。日本の城で赤い瓦を持つのは会津若松城だけ。天守内は博物館として会津の歴史に関する資料が展示されている。 

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バナー画像:会津若松城(PIXTA)

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