李琴峰の扶桑逍遥遊(ふそうしょうようゆう)

童話の街:小樽をそぞろ歩く

北海道の中でもとりわけ人気の高い観光地・小樽運河。1960年代に埋め立てて道路にする計画があったが、市民の猛反発にあい、南運河の半分だけを埋めることで決着した。「夢のような美景の裏側にも現実的な議論や折衝の生々しい歴史があった」と李琴峰はいう。現在も童話の世界と隣り合わせるように、怪しすぎる看板が並ぶ一角に遭遇する幻想と現実が交じり合う小樽を、「今度こそ大切な人と一緒に回りたい」と願いながら、1人歩く。

小樽といえば、映画『ユンヒへ』の中の幻想的な銀世界がすぐ思い浮かぶ。若くして別離を強いられたレズビアンカップルのユンヒとジュン。ユンヒは娘のセボムに促されてジュンのいる小樽を訪れ、ジュンと20年ぶりの再会を果たす。歳月のようにしんしんと降り積もる白い雪と、小樽運河のガス灯の煌めきを背景に再会する二人の女性。雪は冷たく、過ぎ去った時間は戻らないが、秘してきた想いは暖かく美しく、観る者の胸に静かに沁みる。

小樽運河の夜景 ©李琴峰
小樽運河の夜景 ©李琴峰

『ユンヒへ』の世界に憧れを抱くが、寒がりの私が小樽を訪れるなら夏しかない。小樽はどこまでも幻想的な街で、洋風建築や煉瓦造りの倉庫が立ち並ぶノスタルジックな街並みは童話の世界を想起させる。大正浪漫の面影を留めている百年の歴史を持つ都通り商店街、明治時代に竣工したルネッサンス様式の日本銀行旧小樽支店、古い倉庫を再利用して営業しているカフェやバー、ガラスやオルゴール店が密集している堺町本通り商店街、そして小樽の発展を支えてきた目玉の観光地・小樽運河。「小樽歴史景観区域」は徒歩で回れる広さなので、そぞろ歩きをしていると思わぬ発見が多く、胸が躍る。

歴史ある街並みが生む非日常感

今でこそ北海道の中心都市は札幌だが、かつては小樽がその座を占めていた。明治維新以降、北海道の開拓が進むにつれ、海に面している小樽は港町として栄え、北海道の玄関口、そして経済的中心となった。商社や金融機関が進出し、「北のウォール街」と呼ばれる金融街まで出現した。小樽と札幌の人口数が逆転したのは1925年あたりで、戦後、札幌が更なる発展を遂げるにつれ、小樽の経済的地位も低下した。今の小樽はいわば北海道の古都というポジションで、歴史的建造物などの観光資源を活かし、観光都市として知られるようになった。

景観維持のため、小樽では建物の高さや色、素材、デザインなど制限が設けられており、街を散策していると、不思議な統一感と開放感が楽しめる。道は広く、建物は低く、空がよく見えて圧迫感がない。渋谷や新宿の繁華街のような猥雑な感じも好きだが、小樽の歴史ある街並みは違う種類の非日常感を味わわせてくれる。

100年の歴史を持つ商店街「都通り」 ©李琴峰
100年の歴史を持つ商店街「都通り」 ©李琴峰

小樽駅を出て、北海道で二番目に古いアーケード商店街「都通り」を通り抜けると、かつて金融機関が密集し、「北のウォール街」と呼ばれた「日銀通り」に出る。小樽では古い建物を違う用途に再利用している例が多いが、日銀通りは特に立派な建築が目立つ。小樽運河の方角へ歩いていくと、市立小樽文学館・美術館(1952年竣工、小樽地方貯金局)や金融資料館(1912年竣工、日銀小樽支店)、似鳥美術館(1923年竣工、北海道拓殖銀行小樽支店)、小樽運河ターミナル(1922年竣工、三菱銀行小樽支店)など歴史ある建物を再利用した施設が目に入り、往昔の「北のウォール街」の繁栄が偲ばれる。「北海道銀行本店(1912年竣工)」はワイン・カフェレストラン「小樽バイン」として生まれ変わっているが、中に入らなくても外観を眺めるだけで楽しい。

金融資料館(旧・日本銀行小樽支店) ©李琴峰
金融資料館(旧・日本銀行小樽支店) ©李琴峰

色内大通りとの交差点を右へ曲がってしばらく歩くと、赤煉瓦の外壁が緑のツタに覆われる鮮やかな「小樽浪漫館」が見えてくる。小樽はガラス工芸が有名で、一説によれば、そのルーツは「石油ランプ」と「浮き玉」だったという。北海道は電気の普及が遅く、小樽が経済の中心として発展を遂げた後もガラス製の石油ランプを使っていた。また、かつてはニシン漁が盛んだったため、ニシン漁に使うガラスの浮き玉の需要も多かった。戦後、電気の普及とニシン漁の衰退に伴って、小樽のガラス製造業も実用目的から観光客向けの工芸品へと転向した。

小樽浪漫館 ©李琴峰
小樽浪漫館 ©李琴峰

「小樽浪漫館」から始まる、小樽随一の商店街「堺町本通り」には「大正硝子館」「北一硝子」「おたる瑠璃工房」「オルゴール堂」など、ガラス工芸品やオルゴールに特化したお土産屋さんが軒を連ねている。どの店も建物の外見は古風で奥ゆかしく、一歩店内に入るときらきらした異世界が現出する。繊細で色とりどりのガラス工芸品は見ていてどれも欲しくなるが、実用性を考えると物欲をぐっとこらえて購入を断念した。

昆布専門店がプロデュースする怪しい一画

「堺町本通り」に沿って散策すると、右側に「小樽出世前広場」ののぼりが掲げられている路地が見えてくる。「おかしな名前だな、なんだろう」と思い、足を踏み入れてみた。入り口の地面に「ケンケンパ」の丸が描いてあって、空からは和傘が逆さにたくさん吊るしてあり、和傘の鮮やかな色と柄を眺めているとどことなく晴れやかな気分になった。どうやら大正や昭和のレトロな街並みを再現するというコンセプトのスポットらしい。蕎麦屋、小物店、旅館、そして何を売っているか分からない怪しげな小さな店が散見されるが、店員がいなくて、営業しているかどうかも分からない。

「小樽出世前広場」の入り口の「ケンケンパ」と和傘 ©李琴峰
「小樽出世前広場」の入り口の「ケンケンパ」と和傘 ©李琴峰

路地の突きあたりにはけばけばしい大きな看板が3つ掲げられており、いかにも昔風の絵柄で、一見映画のポスターかと思いきや、その内容は実に怪しい。「秦の始皇帝と除福伝説…不老不死の仙薬は昆布であった…」「在東海仙薬不老不死告夢也」「薩摩の野望と琉球王国の哀しみ…昆布が成した明治維新…」……うーん、怪しすぎる!

「小樽出世前広場」の怪しい看板 ©李琴峰
「小樽出世前広場」の怪しい看板 ©李琴峰

調べたら、どうやらこの「出世前広場」は小樽の昆布専門店「利尻屋みのや」が作ったスポットであり、この「利尻屋みのや」は怪しさが売りらしい。店頭のキャッチフレーズが「お父さん預かります」だったり「七日食べたら鏡をごらん」だったり、社長自身が「ホラ吹き」と自称したりしているとのこと。3枚の看板の真ん中のものは羽衣を羽織って舞っている綺麗な女の人の絵で、短歌が一首添えられている。「卑弥呼なる神代を想う濡れ羽根の海藻(かいも)干したる宇賀(うが)の浜鳴り」。なるほどこの女の人は邪馬台国の女帝・卑弥呼か……と思ったら、女の人が腰につけている帯、それ、昆布じゃないか! 全てが怪しすぎる。だいたい、「除福」とあるが正しくは「徐福」である。「福」を「除」いてどうすんねん。とはいえ、これくらい怪しい看板だと、この誤字はわざと狙っているのか単なるミスなのか判断しかねる……近くに別の店(店員不在)があり、店先の立て看板にはこうある。

「小樽の女性のお尻はなぜ格好いいか? それは坂道と雪かきだよね!! 小樽の女性は働き者だから」

って、おい。

「小樽出世前広場」の怪しい看板その2 ©李琴峰
「小樽出世前広場」の怪しい看板その2 ©李琴峰

メルヘン交差点で思いとどまる

怪しすぎる「出世前広場」(そもそもこの名前も怪しい。出世前?)を離れ、「堺町本通り」をさらに進んでいくと、「メルヘン交差点」に辿り着く。この交差点に立って周りを見渡すと、洋風建築が多いからか、まるで西欧にいるかのような錯覚になり、つい景色に見とれてしまう。とりわけ交差点前広場に設置されている「常夜灯」とその近くの「小樽洋菓子舗ルタオ本店」の建築は実にバランスがよく、眺めていると不思議と本当に「メルヘン感」が湧いてくる。

ここの「常夜灯」の正式名称は「小樽海関所灯台」であり、昔実際に存在したが焼失した木製灯台を復元したものである。「小樽洋菓子舗ルタオ本店」は小樽の人気スイーツ店で、名前の「ルタオ(LeTAO)」は「親愛なる小樽の塔」を意味するフランス語「La Tour Amitié Otaru」の頭文字を取ってできたものであり、「小樽」を逆に読んだものでもある。「ルタオ」は建物自体は新しいが、違和感なく周辺の景色に融け込んでおり、建物には塔も備わっているので名前の由来に相応しい。

メルヘン交差点、「小樽洋菓子舗ルタオ本店」と「常夜灯」 ©李琴峰
メルヘン交差点、「小樽洋菓子舗ルタオ本店」と「常夜灯」 ©李琴峰

交差点の向こう側に建っている、これまた典雅な建物は「小樽オルゴール堂本館」である。1912年に建てられ、元々は米穀商の社屋だったが、後にオルゴール店に転用された。三階建ての広い店内には様々な種類と意匠の煌びやかなオルゴールが販売されており、LEDがついているもの、可愛い人形が踊るもの、観覧車の形をして回るもの、壁にかけられるもの、時計やフォトフレームとして使えるもの、ジブリなどキャラクターのデザインのもの、たくさんありすぎて一日中見ていられる。オルゴールの水晶のような綺麗な音を聞くと、心が洗われ、癒された気分になる。オルゴールほど童心を蘇らせるものはない気がする。

メルヘン交差点、「小樽オルゴール堂本館」 ©李琴峰
メルヘン交差点、「小樽オルゴール堂本館」 ©李琴峰

が、日常生活に童心がありすぎるのも困るので、やはり物欲を抑えて何も買わないことにした。「オルゴール堂」を出て、「水天宮」を目指した。小樽市内は丘が多く、水天宮は丘の上に建っていて、境内からは小樽の住宅街を眺望できる。こちらの社殿も1919年に建立されたもので、百年以上の歴史を持つ。

水天宮 ©李琴峰
水天宮 ©李琴峰

寂しさと自由を天秤にかける

夕方が近くなると、一旦小樽の市街地を離れ、タクシーで「祝津パノラマ展望台」へ向かう。タクシーは珍しく女性の運転手で、私に熱心に話しかけてくれた。

「一人旅ができるのは羨ましいですね。私はレストランでも一人ではなかなか入れないんですよ」と運転手さんが言った。

「なんでですか?」と私が訊いた。

「なんか寂しいし、恥ずかしいですね」と運転手さんが言った。

「仕事中の食事とか、どうされているんですか?」

「タクシー運転してるから、コンビニでお弁当買って車の中で食べています」

運転手さんとは違い、私は割と自分一人で何でもできる人間である。一人で映画館にも行くし、レストランにも入るし、旅行にも出かける。自分がそうだから、友人でも一人で何でもできる自立した女性が多い。タクシー運転手をやっている女性は私から見れば立派なキャリアウーマンなのだが、一人で旅行をしたりレストランで食事したりすることができないという。訊けば、女性は小樽生まれで、小樽を離れたことがなく、ずっとこの地で生きてきた。どんな人生を歩んできたのか、なかなか想像できない。しかし私とて一人旅は寂しくないといえば嘘になる。寂しさと自由を天秤にかけて、自由を選んだだけだ。

祝津パノラマ展望台は小高い丘に建つ、北の海に臨む展望台で、夕陽を眺める絶景スポットである。海へ突き出した崖の荒々しい岩肌、水面に浮かぶいくつもの岩礁、それらに囲まれるようにゆっくり水平線に沈みゆく橙色の火球。来た方角を振り返れば、「祝津マリンランド」という小さな遊園地があり、丘の上から見下ろすと観覧車もミニチュアのように見える。営業時間が過ぎ、夕闇に包まれる遊園地はどこか廃墟のような雰囲気を纏っている。

「祝津パノラマ展望台」から眺める夕陽の景色 ©李琴峰
「祝津パノラマ展望台」から眺める夕陽の景色 ©李琴峰

空が暗くなってから、バスで小樽市街地へ戻る。小樽運河はもうライトアップされており、涼しげな濃藍の空を、ガス灯や街路樹のイルミネーションの暖かそうな光が照らしていた。『ユンヒへ』の中で、煌びやかな光に包まれながらユンヒとジュンが再会した場所だ。運河沿いには昔ながらの煉瓦倉庫や工場がびっしり並んでおり、クラシックな風情を醸し出す。そのうちの何軒かは今はディスカウント・ショップやファミレス、結婚式場に転用されている。

夜8時に運河クルーズに乗船した。小樽運河は海から内陸へ入り込むのではなく、海岸線に平行するよう沖合を埋め立てて作られた運河である。水路から海に出られるし、運河の水位も潮汐の影響を受ける。クルーズは一回海に出てから運河へ戻ってきて、まずは北へ向かい、そして南のほうへ引き返した。

ガイドさんの解説によれば、小樽運河は幅の広い「北運河」と狭い「南運河」に分かれている。もともと幅は同じでどちらも40メートルだったが、60年代、船運が衰退し、自動車が増えたことから、小樽市は運河を埋め立てて道路にする計画を発表した。ところがこの計画は運河の保存を望む市民団体から猛反発され、中断された。10数年の議論の末に辿り着いた折衷案は、運河の南のほうを半分だけ埋め立てて道路にするというものだった。このようにして南運河の幅は半分となり、もう半分は北海道道17号「臨港線」の一部となった。夢のような美景の裏にも、先人による現実的な議論や折衝の生々しい歴史がある。

小樽運河の華やかな夜景を後にし、宿へ戻る道中、運河で撮った写真を友人に送ってみた。すると友人から、「あなたのユンヒには会えましたか?」と返信が返ってきた。私は思わずくすっと笑い、「残念ながら独りで景色を見て帰ったのだった」と返した。

この童話の世界みたいな街を、今度こそ大切な人と一緒に回りたいと願いながら。

バナー写真 : 小樽の夜景 ©李琴峰

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