洋上のアルプス——屋久島を走る
Guideto Japan
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霧雨の屋久島を原付で疾走
屋久島はよく雨が降る。林芙美子が『浮雲』で、「屋久島は月のうち、三十五日は雨」と書いたくらいだ。
私が訪れた日もやはり雨が降っていた。鹿児島港から高速船で2時間、到着した宮之浦港は厚い暗雲に覆われ、霧雨がたゆたうように降っていて空気が冷たい。港で写真を撮っていると、タクシー乗り場で待機していたタクシーがいつの間にか全部なくなって乗りそびれた。タクシー会社に電話して配車を頼みたい旨を伝えると、迎車料金が5000円かかると言われて諦めた。港から20分歩いたところにレンタルバイクの店があり、そこで原付を借りた。
屋久島はほぼ山でできており、山地を巡って道路が一周している。九州最高峰の宮之浦岳(1936m)を中心に山々が連なり、壮観な連峰は「洋上のアルプス」の異名で呼ばれ、世界自然遺産にも登録されている。また、ジブリ映画『もののけ姫』のモデルにもなったと言われている。
宮之浦港の近くにある「屋久島環境文化村センター」で情報を集めていると、どこへ行かれますか? とスタッフの方が話しかけてきた。
「屋久島は初めてなんですが、ここは絶対行ったほうがいい、みたいな場所はありますか?」と私は訊いた。「車を運転していないので、原付で行ける場所で」
「原付か……」スタッフは少し考えてから答えた。「白谷雲水峡(しらたにうんすいきょう)は行ったほうがいいと思いますよ」
「何がありますか?」
「きれーいな自然が見られますよ。縄文杉とか、太鼓岩とかが有名ですね。いくつかコースがあるので、無理のないものを選ぶといいですよ」
グーグルマップで調べると、「白谷雲水峡」はさほど遠くないように見え、しかも一本道なので行きやすそうだと思った。名前からして綺麗そうな場所なので、行ってみようと決めた。
ところが白谷雲水峡へ続く一本道に原付をしばらく走らせていると、だんだん雲行きが怪しくなってきた。まさに「深山に分け入っている」ような勢いで標高がどんどん高くなり、気づけば周りは緑の山々に囲われていた。港ではしんしんと立ち込めていた霧雨も、山に入ってくるとぱらぱらと雫がはっきり感じられるような雨になっていた。山道において雨宿りができる場所は全くなく、ひたすら目的地に向かって走るしかない。道路はあちこち工事しており、でこぼこで走りづらかった。
都会のもやしっ子、散策を断念
40分ほどして、ようやく目的地の白谷雲水峡に着いた。鮮やかな緑に包まれた川が大きな岩を荒々しく打ちつけ、真っ白な水しぶきを飛ばす。確かに綺麗な峡谷だった。標高は650メートルという。つまり私は原付で650メートルの山に登ったのだ。よく頑張った。
原付を駐車場に止め、白谷雲水峡の散策コースへ向かおうとしたら、入り口でスタッフに呼び止められた。
「君、山に登るの?」
入り口にある管理棟の中に座っている中年男性のスタッフがそう訊いた。
「えっ? いや、山に登るというか」
ただ散策がしたいだけなんだけど。困惑していると、
「ここから先は登山コースだよ」
スタッフはそう言い、値踏みするように私の身なりを観察した。「登山する格好には見えないんだけど」
確かに私はかなりの軽装で、リュックサックもなくハンドバッグ一つで、靴もスニーカーだった。
「ここ、登山コースなんですか? けっこうきついんですか?」と私は訊いた。
「だいぶきついよ」
スタッフはあたり一帯の地図を取り出し、指で差しながら説明してくれた。入り口の標高は650メートルだが、入り口を通り過ぎるとすぐ上り坂が始まる。『もののけ姫』のモデルになったと言われる「苔むす森」の標高は860メートル、太鼓岩の標高は1070メートル、縄文杉に至っては標高1300メートルのところにある。
どうやら私が散策コースだと勘違いしていただけで、ここはガチな登山コースだ。都会住まいのもやしっ子の私には場違いすぎる。しかたなくコースに入っていくのを諦め、原付に乗り、来た道をそのまま引き返した。それにしても、山道を40分走ってようやく到着した白谷雲水峡だが、滞在時間はたったの10分、そう考えると空しい気持ちでいっぱいになった。
屋久島で時間に追われる
急勾配の山道を下りていき、登り道の半分くらいの時間で平地に戻った。今度は海岸沿いの道を反時計回りに走る。白谷雲水峡に上ってまた下りてきたせいで、かなりのタイムロスになった。屋久島に着いたのは午前10時前だが、鹿児島港へ戻る船の最終便は午後4時前には出発する。平地に着いた時にはもう午後1時を回っていた。帰り道にかかる時間と原付の返却のことを考慮に入れると、3時前には宮之浦港へ引き返さなければならない。つまり島を回れるのは、あと2時間弱しかない。意外と慌ただしい。
走っているうちに雨が止んだ。20分ほど走ると、矢筈岬(やはずみさき)という場所に着いた。屋久島の最北端である。岬の先端に建っている一湊灯台(いっそうとうだい)へ行ってそこから海を眺めようと思い、灯台への道を走ったが、地図で見たより距離があったし、一応舗装されている道路もところどころ穴が開いていてでこぼこしていた。道路の突き当たりに駐車場があるが、駐車場から灯台まで更に山道を10数分歩かなければならないことに気づいた。灯台まで行ってまた戻ってくると、残り時間はほぼなくなる。しかたなく、灯台へ行くのも断念し、引き返すことにした。
また20分ほど走り、「永田いなか浜」に着いた。ここは屋久島の数少ない砂浜の一つで、他の砂浜とともにラムサール条約登録湿地になっている。風化花崗岩の白砂の浜が約1キロくらい続き、ウミガメの産卵地でもあるという。雨が止んだのはいいものの、島の上空は相変わらず暗雲が渦巻き、海の色も暗かった。浜辺にはほとんど人がおらず、無人島を一人で歩いているような気分になった。
次は泊まろう!
しばらく散歩しながら景色を眺めていると、もう引き返さなければならない時間になった。来た道をそのまま戻り、約40分で宮之浦市街地に着いた。レンタルバイクの店のすぐ近くの交差点で信号を待ちながら、よかった、これで船には間に合う、と思った。が、安堵した矢先に、突然後ろから追突された。
一瞬、何が起こったか分からなかった。振り返ると、車の運転手はフロントガラスの後ろで申し訳なさそうにこちらに向かったぺこぺこしている。それで、ああ、ぶつかられた、と悟った。信号を待っているので原付は完全に静止状態、そこを車に後ろから追突されたのだ。つまり、非は100%相手にある。
幸い、追突の力が弱く、原付のぶつかられた箇所に少々傷ができた程度で、怪我はしなかった。運転手の中年男性が車を下り、平謝りに謝った。
「大丈夫ですか? 怪我はないですか?」運転手は心配そうに訊いた。
「怪我は大丈夫です。ただ原付は借り物で、これから返しに行くんですが、ついてきてもらっていいですか?」
そう申し出ると、運転手は素直に従った。いい人みたいでよかった、そう思いながら、念のため相手のナンバープレートを撮影しておいた。
レンタルバイク店に着くなり、運転手はすぐ店主に状況を説明してくれた。偶然にもその運転手と店主は顔見知りらしく、おかげでことがこじれずに済んだ。私に責任がないことが確認されると、店の人は車で私を港まで送ってくれた。船には間に合った。もし追突の力がもう少し強かったら、なんて想像はしないことにした。
船に乗り、屋久島を離れる。屋久島を回るのに日帰りはあまりにも慌ただしいことがよく分かった。今度訪れる時は一泊くらいしていこう、と心の中で決めた。
島のほうへ振り返ると、厚い雲の層の向こう側に、金色の夕陽が輝いていた。
バナー写真:白谷雲水峡 ©李琴峰