【書評】歴史に刻まれたスパイの墓碑銘(後編):ベン・マッキンタイアー著『キム・フィルビー かくも親密な裏切り』
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(前編から続く)
ここまで本書を読み進むと、あとは一気呵成。ここからフィルビーが追い詰められていくプロセスを、著者は迫真の筆致で描き切る。
戦後のフィルビーの暗号名は「スタンレー」と変更され、ソ連の情報機関のなかでも重きをおかれたスパイとなる。彼のもたらす機密情報は一級品だ。
しかし、ここにフィルビーのジレンマがあった。
スターリンによる粛清以降、ソ連からの亡命者はあとを絶たない。フィルビーは、いずれ彼らから正体を暴露されるのではないかと怯えるようになる。
きっかけはCIAからもたらされた。
1946年、アメリカの暗号解読班が、アメリカとモスクワの間でやり取りされた電信文の解読に成功。数年後、「ホメロス」という暗号名のソ連工作員がいて、1945年にワシントンのイギリス大使館内部から秘密を漏らしていた事実が判明する。
それはまぎれもなく一等書記官を務めていたドナルド・マクレインだった。
すでに帰国していたマクレインに追手が迫る。
逮捕の危機を、ガイ・バーシェスを通じて本人に知らせたのがニューヨーク支局長のフィルビーで、1951年5月、マクレインとバージェスはモスクワに亡命してしまう。
当然、摘発を漏らしたのは誰か、ということになり、「第3の男」の存在が囁かれる。疑惑の目はフィルビーに。
なにしろバージェスは数週間前までフィルビーの家に客として泊まっていたし、フィルビーは「ホメロス」の捜査を知っていた数少ない人物の1人であり、マクレインに警告できる立場にあった。
フィルビーはロンドンに呼び戻され、防諜組織であるMI5から尋問を受ける。とはいえ、状況証拠はあるが、決定的なものはない。
フィルビーはしらを切り通す。MI6は身内のフィルビーをかばった。その先頭に立ったのがエリオットである。なぜなら、
「エリオットとフィルビーは、イギリス支配階級に身を置いており、そこでは互いへの信頼は疑問の余地などない絶対的なもの(略)」
ついにはマスコミにも報じられるスキャンダルに発展するのだが、1955年11月、フィルビーは潔白を訴える弁明会見を行い、見事な名演技で疑惑を否定し、その場を乗り切ることに成功する。
とはいえ、結局、決着がつかないまま、アメリカとMI5から圧力を受け、フィルビーは退職するが、またしてもエリオットの尽力で復職。
こんどは中東勤務の情報員として。1956年夏、フィルビーはフリーランスの特派員という隠れ蓑をまとい、ベイルートに赴任する。
それは洗練された死闘
しかし、とうとう進退窮まるときがやってきた。
1962年、ヘルシンキでKGBの上級将校がCIA支局長と接触し、亡命を希望する。彼は、「5人組」と呼ばれるイギリスで非常に重要なスパイ網の話を聞いたと証言。彼らは大学で出会った者たちで、何年にもわたってソ連に機密情報を流していたという。
誰を指すかは自明の理だった。
ことここに至り、エリオットもフィルビーの裏切りを確信するようになる。その胸中たるや、いかばかりか。
1963年1月、エリオットは自ら尋問役を買って出て、ベイルートに向かった。
海辺に近いアパートで、エリオットはフィルビーと対決する。部屋には盗聴器が仕掛けられ、隣の部屋で2人の会話が録音されていた。そのときの会話を記録した全文を、MI5はいまだに公開していない。
著者によれば、窓を開けていたため、会話の大半が、街の喧騒にかき消されていたという。しかし、
「その後の展開を再現するのに十分な内容は聞き取れた。それは、イギリス人の非情な礼儀正しさを示す、洗練された死闘だった」
互いに怒りを抑えた静かな言葉の応酬。この「洗練された死闘」と表現された対決のシーンを、著者はここで見事に活写している。このあたりが、この物語の最大の見せ場である。
フィルビーはエリオットに言う。
『ここまではるばる僕に会いに来たというわけじゃないんだろう?』
『僕が来たのは、君の過去の不正が明らかになったと告げるためなんだ』
「エリオットはフィルビーに、スパイ活動は一九四九年までであって、それ以降はやっていないと認めさせる必要があった。そうすれば、問題をアメリカに口出しされずにMI6の「内部」で処理することができた」
つまりフィルビーがニューヨークに赴任する以前の話にしたかったわけだ。
フィルビーは裏切りを否定するものの、もはや疑惑を覆すことはできない。緊迫したやりとりの末、エリオットはこう言い放つ。
『もし協力してくれるなら、訴追免除を認めよう。何も公表しない』
返答までに24時間の猶予を与えた。翌日の午後4時、フィルビーはやってきた。
『オーケー、情報を話そう』
フィルビーが自白した瞬間だった。
最後のどんでん返し
だが、フィルビーの身柄を抑えておくことはできなかった。ここから最後の大どんでん返しが待っている。
エリオットは、つごう4日間にわたりフィルビーを尋問したのち、あとを後任に託し、アフリカへ旅立った。
一方のフィルビーは、密かにソ連の工作員と接触してベイルートから脱出をはかり、まんまとモスクワへの亡命を果たすのである。
なぜ、彼はまんまと逃げおおせたのか。
フィルビーの監視は緩かったという。これはイギリス情報機関の大失態であったのか。それとも意図的に亡命を黙認したものなのか。
この間の経緯には謎が多いが、関係者の証言を積み重ね、著者が出した解答には説得力がある。
「フィルビーをイギリスで起訴するというのは、情報機関にとっては何が何でも避けたい事態だった。(略)政治的なダメージは大きいし、面目も丸つぶれとなる」
「彼はとにかく知りすぎていた。エリオットは、『彼にロンドンへ戻ってほしいと思っている者など一人もいなかった』とはっきり断言している」
かつてモスクワに亡命したバージェスとマクレインは、その後はなんの音沙汰もなし。ならばフィルビーも友人たちと合流し、おとなしく消えてくれたらよい。
「つまりスパイ用語で言う『蒸発する』ことを暗黙のうちに許すのが、全員にとって一番満足のいく解決策なのかもしれなかった」
だからエリオットは「何もせずにベイルートを立ち去り、モスクワへのドアを開け放っておいた。それはとんでもない愚行か、さもなければ、ずば抜けて賢明な処置であった」
なぜ、祖国を裏切ったのか
それから数年後、妻のエレナ(アイリーンは病死し、フィルビーにとって3番目の妻)がモスクワを訪れた。
そこでの夫婦の会話。
「エレナは夫に尋ねた。
『あなたの人生で大切なのは、私と子供たちなの? それとも共産党なの?』
フィルビィーの答えは、感情と政治のどちらが大事かと聞かれたときにいつも答えてきた返事と同じだった。
『もちろん共産党さ』」
フィルビーは、なぜ、祖国を裏切り、二重スパイになったのか。
本人が語っているほど、共産主義というイデオロギーに肩入れしていたわけではなさそうである。
もっと情緒的なもの。あるいは情熱的なもの、か。
本書を読むと、もともとのフィルビーの内底に潜む人間性に根差していたもの、という結論にたどりつく。
著者は、ただ一行でその本質を言い現している。
「フィルビーは、欺瞞が楽しかったのである」
著者は、「はしがき」の最後でこう述べている。
「本書で目指したのは、彼の物語を個人的友情というプリズムを通して別の角度から描くことであり、それによって、現代の最も非凡なスパイについて新たな理解を得られればと思う」
まさしくその試みは、見事に成功しているのではないか。そして、読後、こう思う。
はたして東西冷戦のスパイの世界に勝者はいたのか、と。
本書では、後世に名を遺したスパイから、あるいは命を落とし、闇に埋もれていった無名のスパイまでが、群像劇のように、しかも巧緻に描かれている。
であるだけに、本書は、さながら、歴史に刻まれた無残な墓碑銘とも思えてくるのであった。