北方領土交渉をめぐる主な経緯
政治・外交
1956年の日ソ共同宣言以降の北方領土をめぐる主な動きをまとめた。
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北方領土問題は、日本とロシアとの間の最大の懸案事項。第2次世界大戦の日本とソビエト連邦(現ロシア)間の戦争の終結と国交回復をうたった1956年の「日ソ共同宣言」時点では北方四島の帰属について合意に至らず、「平和条約締結後に、歯舞群島、色丹島を日本国に引き渡す」と明記されている。
2018年11月14日、シンガポールで会談した安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領は、日ソ共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させることで合意した。しかし、プーチン大統領は同年12月に、平和条約締結後に北方領土に米軍が展開する可能性への懸念を示唆。ロシアは20年7月に憲法を改正し領土の割譲禁止を明記するなど、交渉が加速することはなかった。さらに、22年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻後、岸田文雄政権が経済制裁に踏み切ると、ロシアは領土問題を含む平和条約交渉の継続を拒否。北方領土返還に向けた政策は身動きが取れない状態が続いている。
1956年の共同宣言以降の主な動きをまとめた。
北方領土をめぐる主な出来事
1956年10月
- 日ソ共同宣言(鳩山一郎首相、ブルガーニン首相署名)
- 戦争終結と国交回復。北方四島の帰属は意見が一致せず、「平和条約締結後に歯舞群島、色丹島を日本に引き渡す」と明記。
1992年
- ビザなし交流開始、以降、毎夏、数往復ずつ実施
1993年10月
- 東京宣言(細川護熙首相、エリツィン大統領署名)
- 4島名を列挙し、帰属問題を解決することにより「平和条約を早期に締結するよう交渉継続」
1997年11月
- クラスノヤルスク合意(橋本龍太郎首相、エリツィン大統領)
- 東京宣言に基づき、2000年までの平和条約締結を目指す
1998年4月
- 川奈提案(橋本首相、エリツィン大統領)
- 日本側が4島の北に境界線を引くが、当面はロシアの施政を認めることを提案
2000年9月
- プーチン大統領来日
- 「日ソ共同宣言は有効」「川奈提案はロシア側の考えとは完全に一致しない」
2001年3月
- イルクーツク声明(森喜朗首相、プーチン大統領)
- 日ソ共同宣言を交渉の出発点と確認
2003年1月
- 日ロ行動計画(小泉純一郎首相、プーチン大統領) 経済協力を確認
2010年11月
- メドベージェフ大統領がロシア首脳として国後島を初訪問
2012年7月
- メドベージェフ首相、国後島訪問「ロシアの土地、一寸たりとも渡さない」
2016年12月
- プーチン大統領来日
- 北方四島での共同経済活動の協議入りで合意
2018年9月
- プーチン大統領「年内に前提条件なしに平和条約締結」を提案
2018年11月
- 日ロ首脳会談(安倍晋三首相、プーチン大統領)
- 日ソ共同宣言を基礎として、平和条約締結交渉を加速させることで合意
2019年6月
- G20大阪サミット日ロ首脳会談(安倍晋三首相、プーチン大統領)
- 引き続き日ソ共同宣言を基に交渉を進めていくことで一致
2020年7月
- ロシアが領土割譲禁止を明記した改正憲法発効
2020年9月
- 第二次安倍政権が退陣
2022年2月
- ロシアがウクライナ侵攻。日本が対ロ制裁
2022年3月
- ロシアが平和条約交渉打ち切り。四島交流と自由訪問を中止、共同経済活動に関する対話から離脱
2022年9月
- ロシア、四島交流と自由訪問に関する合意の効力停止
内閣府ウェブサイト、外務省ウェブサイト、各種報道等を参考に作成
島の名前 | 面積 | 特徴 |
---|---|---|
歯舞群島 | 95km2 | 複数の小島で構成 |
色丹島 | 249km2 | 緑に覆われたなだらかな丘陵地帯(人口3000人) |
国後島 | 1489km2 | 太平洋側は比較的平坦で、天然の良港(人口8000人) |
択捉島 | 3167km2 | 2万トンものサケ・マスが水揚げされるなど水産資源に恵まれる(人口6000人) |
合計 | 5003km2 | 福岡県に相当する面積 |
内閣府、独立行政法法人北方領土問題対策協会のウェブサイト等を参考に編集部作成 特徴欄に記した人口はロシア人の在住者
バナー写真:時事 / 日ソ共同宣言の調印式に臨む鳩山一郎首相(左)とソ連のブルガーニン首相(1956年、ソ連・モスクワ)