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安保法制、25年間の道のり

政治・外交 社会

日本の安全保障政策は国際紛争、テロ事件などの節目ごとに積み上げられてきた。特に冷戦終結(1989年)以降、湾岸戦争(91年1月)、第1次北朝鮮核危機(93年3月)、米中枢同時テロ(2001年9月)とアフガニスタンでの対テロ作戦、イラク戦争(03年3月)などを契機に大きく転換した。

衝撃的だった湾岸戦争の屈辱

衝撃が最も大きかったのは、湾岸戦争(1991年1月)で、日本は1兆円を超える資金援助をしたにもかかわらず、国際社会から受けた冷笑と無視は極めて屈辱的であった。「カネは出しても、血は流さない」「小切手外交」という冷笑や批判だ。

だが、屈辱的であったがゆえに日本の動きは素早かった。91年4月には湾岸地域の海上交通の安全確保のため、海上自衛隊をペルシャ湾での機雷掃海作戦に派遣した。発令は自衛隊の一般命令によるもので、理由は「日本船舶の安全航行を確保するため、ペルシャ湾における機雷の除去、処理を行う」であった。根拠となる安保法制は、自衛隊法しかなかった。

安全保障をめぐる動向(1)

1991年 1月 湾岸戦争
4月 ペルシャ湾に海上自衛隊掃海艇を派遣
1992年 6月 国連平和維持活動(PKO)協力法、成立
10月 カンボジアPKOに陸上自衛隊を派遣
1993年 3月 北朝鮮、核不拡散条約(NPT)脱退の意思を表明=第1次北朝鮮核危機=
5月 北朝鮮、中距離弾道ミサイル「ノドン」を日本海に向け発射
1997年 9月 日米ガイドラインの改定
1998年 8月 北朝鮮、長距離弾道ミサイル「テポドン1号」を日本海に向け発射
1999年 5月 周辺事態法、成立

最初のカンボジアPKO、“平和構築”のはしり

さらに自民党政権は92年6月、激論の末に国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させた。その4か月後には、カンボジアにおけるPKOに初めて陸上自衛隊施設大隊などを派遣した。自衛隊の活動は内戦下のカンボジアにおける国つくりへの積極的な貢献であり、まさに「積極的平和構築」の始まりであった。

PKOの参加はその後、モザンビーク、ケニア(ルワンダ)、ゴラン高原、東ティモールなどと続き、成果を挙げてきている。

「日米ガイドライン」改定と「周辺事態法」

日米防衛協力のための指針(日米ガイドライン)の改定(97年9月)の引き金となったのが、北朝鮮のミサイル発射と核開発の動向だ。北朝鮮は、93年3月に核不拡散条約(NPT)離脱の意思を示すとともに、同年5月には日本を射程に入れた「ノドン」ミサイルの発射実験に成功した。

98年8月には、北朝鮮が弾道ミサイル「テポドン1号」の発射実験を行い、日本上空の防衛体制への不安を浮き彫りにした。こうした90年代中葉の北朝鮮の挑発的な行動が、日米ガイドラインの改定と周辺事態法の成立(99年5月)に発展する。

日米ガイドラインの改定目的は、日本周辺での紛争に対して、その平和と安全の活動を行う米軍に対して“後方支援”をできるようにしようというもの。旧ガイドライン(1978年11月)は日本有事に際して、日本領域内で米軍と自衛隊が共同対処を行うための基準を示したものに過ぎなかった。

“後方支援”は今でも大きな論争になり続けているが、これは「直接的な戦闘行為ではない、兵站(へいたん)活動」のことをいう。日本ができる活動は武力行使に当たらない「後方地域支援」であったが、ガイドライン改定で日本の領域外で米軍を支援する仕組みを作ったことは日米同盟の重要な転換点となった。

さらに重要なのは、日米ガイドラインの改定と周辺事態法の成立によって、日本は戦後初めて“本土防衛”という枠から出て、自国周辺の平和と安全に責任を持つことになったことだ。

周辺事態法は「地理的な範囲」を持たない法律

日本は憲法9条に基づく防衛論議の中で、「極東の範囲」などをめぐり延々と続く議論を繰り広げてきたが、周辺事態法は実は「地理的な範囲」を持たない法律としてつくられた。特定の地理的範囲を想定していないことから、「事態」という概念が採用された。

要はその都度発生する事態が、「日本の平和と安全に重要な影響を与える事態であるかどうか」を日本が自発的、主体的に判断し、それに基づいて対応するということだ。安保法制法案の審議の中で、さまざまな「事態」が出てきて分かりにくいと批判されたが、そのそもそもの法律的発想は99年成立の「周辺事態法」に起因する。

安全保障をめぐる動向(2)

2001年 9月 米国・同時多発テロ
10月 アフガニスタン戦争、対テロ特別措置法成立
11月 海上自衛隊、インド洋に艦艇を派遣
2003年 3月 イラク戦争
6月 武力攻撃事態法成立
7月 イラク復興支援特別措置法成立
2004年 1月 イラクに陸上自衛隊を派遣

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