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「靖国神社」の基礎知識

政治・外交 社会

毎年8月15日の終戦記念日になると、首相や閣僚の靖国神社参拝問題が大きくクロースアップされる。そのたびに、中国、韓国などが厳しい批判や反発を繰り返し、関係が冷却化している。安倍晋三首相は2013年12月26日に靖国神社を参拝したが、その影響で日中、日韓両国関係は急速に悪化した。国内外に波紋を投げかける靖国神社とは、そもそもどのような神社なのか。それを取り巻く宗教的、歴史的、そして政治的な意味合いなどについて、日本人ですら意外に知らない基礎情報をまとめてみた。

ファクトシート

・場所 東京都千代田区九段北。皇居の北側にある「北の丸公園」に隣接。地下鉄九段下駅から徒歩5分。

・運営主体 戦前は内務省と陸軍省、海軍省が管理。戦後、東京都知事が認証した民間の宗教法人となった。現在は戦没者遺族、戦友などからの奉納金、大口の寄付などで維持・運営される。支援組織として靖国神社崇敬奉賛会がある。会長は扇千景(元参院議長)。

・祭神 幕末から明治維新にかけての志士と、その後日本国内外で起きた事変・戦争など国事に準じた軍人・軍属らの戦没者を「英霊」として祀る。合祀数は246万6000柱あまり。

・主な祭事 春季例大祭(4月21日~23日)、秋季例大祭(10月17~20日)が最も重要な祭事。7月13~16日には、日本古来の盆行事にちなんで戦後始まった「みたままつり」が行われる。8月15日の終戦の日には、特別な祭事は行われない。

略史

1869年(明治2年) 戊辰戦争での官軍の戦死者らを弔うため、明治新政府が東京・北九段に「東京招魂社」を創建
1879年(明治12年) 「東京招魂社」を「靖国神社」と改称
1945年(昭和20年) 太平洋戦争終戦。GHQが政府の国家神道への支援を禁じる
1946年(昭和21年) 日本国憲法公布
1952年(昭和27年) 講和条約発効。宗教法人法(46年制定)に基づき宗教法人に
1959年(昭和34年) 千鳥ヶ淵戦没者墓苑完成
1969年(昭和44年) 自民党が靖国神社の国家管理を盛り込んだ靖国神社法案を国会に提出(後に廃案)
1978年(昭和53年) 東条英機元首相らA級戦犯を合祀
1980年(昭和55年) 政府が靖国公式参拝は「違憲の疑いを否定できない」との統一見解を発表
1985年(昭和60年) 中曽根首相が終戦記念日に公式参拝。朝日新聞(8月7日付)が「靖国問題」として特集記事掲載。8月14日、中国政府が初めて靖国参拝への懸念を公式に表明。80年の政府統一見解を変更
2006年(平成18年) 小泉首相が終戦記念日に、現職首相として21年ぶりに公式参拝

 

靖国神社への戦争別合祀者数

明治維新 7,751
西南戦争 6,971
日清戦争 13,619
台湾征討 1,130
北清事変 1,256
日露戦争 88,429
第1次世界大戦 4,850
済南事変 185
満州事変 17,176
支那事変 191,250
大東亜戦争 2,133,915
合計 2,466,532

(注)戦争の名称と合祀者数は靖国神社資料による

 

合祀されたA級戦犯

東條英機 陸軍大将 首相・陸軍相 東京裁判で絞首刑
広田弘毅 外交官 首相・外相 絞首刑
土肥原賢二 陸軍大将 奉天特務機関長 絞首刑
板垣征四郎 陸軍大将 支那派遣軍総参謀長 絞首刑
木村兵太郎 陸軍大将 ビルマ方面軍司令官 絞首刑
松井石根 陸軍大将 中支那方面軍司令官 絞首刑
武藤章 陸軍中将 陸軍省軍務局長 絞首刑
平沼騏一郎 司法官 首相・枢密院議長 終身刑
白鳥敏夫 外交官 駐イタリア大使 終身刑
小磯国昭 陸軍大将 首相・朝鮮総督 終身刑
梅津美治郎 陸軍大将 関東軍司令官 終身刑
東郷茂徳 外交官 外相・駐ドイツ、駐ソ大使 禁固20年
永野修身 海軍大将 海軍相 判決前に病死
松岡洋右 外交官 外相 判決前に病死

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