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サッカー日本代表の歴史

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2018年のサッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会に進出した日本代表。アジア有数のサッカー強豪国に成長した日本だが、1990年代前半まではプロチームもなく、W杯本大会出場にはなかなか手が届かない時期もあった。

1968年五輪銅メダル、その後は低迷

日本サッカーが世界レベルで初めて本格的に知られるようになったのは、1968年のメキシコ五輪。大会得点王となった釜本邦茂や、渡辺正、杉山隆一らの活躍で銅メダルに輝いた。

1960年代までは日本サッカーの目標は五輪にあり、W杯は1970年のメキシコ大会から予選に継続的に出場するようになる。だが、当時はオーストラリアやイスラエル(当時はアジア連盟所属)、韓国といった国々の壁が厚く、敗退を重ねる。1986年(メキシコ大会)アジア予選は、本大会出場を決めるゾーンB(東地区)の最終予選で韓国に敗退。90年(イタリア大会)も北朝鮮に敗れ、一次予選を通過できなかった。

初の外国人監督起用と「ドーハの悲劇」

外国人として初めてサッカー日本代表を指揮したハンス・オフト監督(時事)

日本サッカー協会は1991年、社団法人日本プロサッカーリーグを設立し、93年に10チームで「Jリーグ」がスタート。92年には日本代表初の外国人監督としてハンス・オフト(オランダ)が就任し、W杯本大会出場に向けた本格的な態勢が敷かれた。この時期の中心選手は三浦知良、ラモス瑠偉、井原正巳、柱谷哲二ら。強化は順調に進み、アメリカ大会アジア予選(93年)では最終予選に進出したが、イラクと対戦した最終戦(第5戦)で後半ロスタイムに同点に追いつかれ、あと一歩のところで出場権を逃した。同試合はカタール・ドーハで行われ、第4戦終了時には1位にいた日本は得失点差で韓国に抜かれて3位に。日本のサッカーファンはこれを「ドーハの悲劇」と呼んで記憶にとどめることになる。

4年後のフランス大会予選で、日本は最終予選グループで韓国に次ぐ2位に。プレーオフのイラン戦はマレーシア・ジョホールバルで行われ、延長戦をものにして悲願のW杯出場権を獲得した。

カタール・ドーハでの試合でイラクと引き分け、W杯出場を逃して肩を落とす日本代表イレブン=1993年10月(時事)

2002、10年には決勝トーナメント進出

1998年フランス大会の監督は岡田武史。中心的な選手には中山雅史、井原正巳、中田英寿、名波浩、秋田豊、川口能活がいた。グループリーグでアルゼンチン、クロアチアに、ともに0-1で敗れ、早々とリーグ敗退が決定。最終戦もジャマイカに1-2で敗れた。日本のW杯初得点は、中山雅史が記録した。

日本、韓国の共同開催となった2002年大会。監督のフィリップ・トルシエ(フランス)は、中田英寿(パルマ)や宮本恒靖(ガンバ大阪)、松田直樹(横浜FM)、森島寛晃(セレッソ大阪)などのほか、小野伸二(フェイエノールト)や稲本潤一(アーセナル)、中田浩二(鹿島)=いずれも当時=といった1999年ワールドユース選手権準優勝組をメンバーの中心に据えた。

グループリーグ初戦のベルギーに2-2の引き分け、ロシアに1-0、チュニジアに2-0で勝ち、グループ1位で決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦ではトルコに0-1で敗れ、ベスト16で大会を終えた。

トルシエの後任にはブラジルのスーパースター、ジーコが就任。2006年のドイツ大会には3大会連続出場となる川口能活や中田英寿らのほか、中村俊輔や中澤佑二、高原直泰、三都主アレサンドロといった新戦力を率いて臨んだ。だがグループリーグ初戦でオーストラリアに1-3と逆転負け。クロアチアには0-0で引き分けたものの、ブラジルに1-4と完敗してリーグ最下位に終わった。

2006年に代表監督に就任したイビチャ・オシム(ボスニア・ヘルエッゴビナ)は、急病で翌年に退任。後を引き継いだ岡田武史がフランス大会に続き、2010年南アフリカ大会の指揮を執った。チームの中心選手は長谷部誠や遠藤保仁、本田圭介、長友佑都、大久保嘉人、田中マルクス闘莉王ら。グループリーグ初戦のカメルーンに1-0で勝利。オランダには0-1で敗れたが、デンマークに3-1で快勝して決勝トーナメントに進んだ。決勝トーナメント1回戦では強豪パラグアイ相手に0-0の引き分け。PK戦3-5で惜しくも涙をのんだ。

デンマークを破って決勝トーナメント進出を決め、喜ぶ日本の選手=2010年6月、南アフリカ・ルステンブルク(時事)

南アフリカ大会後、岡田武史の後任監督としてアルベルト・ザッケローニ(イタリア)が就任。攻撃サッカーを掲げて11年アジア・カップで優勝に導き、2014年W杯ブラジル大会への出場も果たした。しかし、初戦のコートジボワール戦は2-1で敗れ、ギリシア戦は0-0の引き分けに踏みとどまったものの、コロンビア戦では1-4と惨敗を喫しグループリーグで敗退した。

2018年ロシア大会は、開幕まで2カ月に迫った4月に3年間代表チームを率いたバヒド・ハリルホジッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)が電撃解任され、後任に西野朗が就任。グループリーグ初戦のコロンビア戦は1-2で勝利、第2戦のセネガル戦はリードされた後に追いつき2-2の引き分けに持ち込んだ。第3戦はポーランドに1-0で敗れたものの、セネガルと勝ち点4、総得失点差0、総得点4で並び、今大会から導入された警告数の少ない方を優位とするフェアプレーポイントでセネガルを上回り、辛くも決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦で強豪ベルギーを相手に一時は2点リードしたものの、同点に追いつかれ、最後はアディショナルタイムで逆転された。

代表ユニホームは伝統的に青系

サッカー日本代表の愛称は「SAMURAI BLUE」。これは代表ユニホームの青い色にちなんで、日本サッカー協会が2009年に命名したものだ。なぜ代表ユニホームが日の丸の赤ではなく青系が使われてきたのか記録は残っていないようだが、1936年のベルリン五輪に出場した際のライトブルーのユニホーム以降、青が定番となっている。一時期、白や赤が採用されたこともあったが、1992年以降は一貫して青系の色が続いている。2018年大会のユニホームは古来から伝わる日本の色名で、深く濃い藍色を示す「勝色」にちなんでいる。さらに、藍色の布に白い糸で線を描くように刺しゅうする「刺し子」をイメージした模様が前面に入っている。

左ら2010年南アフリカ、2014年ブラジル、2018年ロシアのW杯でゴールを決めた本田圭佑選手。 ユニホームはいずれも日本代表の伝統色である「青」が採用されている。(時事)

ワールドカップの日本代表戦績

対戦国 得点者
1998フランス グループリーグ敗退
アルゼンチン 0-1●
クロアチア 0-1●
ジャマイカ 1-2● 中山雅史
2002日本・韓国 ベスト16
ベルギー 2-2△ 鈴木隆行、稲本潤一
ロシア 1-0○ 稲本潤一
チュニジア 2-0○ 森島寛晃、中田英寿
トルコ 0-1●
2006ドイツ グループリーグ敗退
オーストラリア 1-3● 中村俊輔
クロアチア 0-0△
ブラジル 1-4● 玉田圭司
2010南アフリカ ベスト16
カメルーン 1-0○ 本田圭佑
オランダ 0-1●
デンマーク 3-1○ 本田圭佑、遠藤保仁、岡崎慎司
パラグアイ 0-0△(PK3-5)
2014ブラジル グループリーグ敗退
コートジボワール 2-1● 本田圭佑
ギリシア 0-0△
コロンビア 1-4● 岡崎慎司
2018ロシア ベスト16
コロンビア 1-2○ 香川真司、大迫勇也
セネガル 2-2△ 乾貴士、本田圭佑
ポーランド 0-1●
ベルギー 2-3● 原口元気、乾貴士
2022カタール 12月2日時点でベスト16
ドイツ 2-1○ 堂安律、浅野拓磨
コスタリカ 0-1●
スペイン 2-1○ 堂安律、田中碧
クロアチア

(2014年4月10日公開、2018年7月3日更新)

バナー写真:W杯ロシア大会の初戦、コロンビア-日本に臨む日本代表=2018年6月19日、ロシア・サランスク(時事)

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