2回のお代替わりを見つめて

シリーズ・2回のお代替わりを見つめて(4)新嘗祭:五穀豊穣を祈る最重要の宮中祭祀

社会

天皇陛下は在位中、国民の安寧と幸せを祈ることを大切にされてきた。皇室の祈りの聖域は、皇居の森の奥深くにある。宮中祭祀の中でも最も重要な、五穀豊穣に感謝する「新嘗祭(にいなめさい)」に、陛下は晩秋の夜、純白の「御祭服」で臨まれた。来秋に新天皇が1度だけ行う大がかりな「大嘗祭(だいじょうさい)」に関する秋篠宮さまの発言が、各方面に波紋を呼んでいる。

古代さながらの儀式

陛下は11月23日夜、皇居内の神道の神々や歴代天皇らの霊を祀る「宮中三殿」に隣接した神嘉殿(しんかでん)で、自ら行う新嘗祭に臨まれた。ふだんの洋服姿とはまるで違う伝統の装束で、飛鳥時代から始まったと言われるこの宮中祭祀を執り行われた。

農耕の国だった日本には、古くから米など五穀の収穫を祝う風習があった。新嘗祭は天皇がその年の新穀をご自分で神々にお供えし、収穫に感謝して自らも召し上がる宮中伝統の行事である。この新穀の中には、陛下が今年5月に皇居内の水田で田植えをし、稲刈りされたものも混ぜられている。

この儀式は午後6時から8時までの「夕(よい)の儀」と、午後11時から午前1時までの「暁の儀」から成る。間もなく85歳になる陛下は健康を考慮して、夕の儀の後半を務められた。たいまつなど、わずかな明かりだけで、古代さながらの儀式には皇太子さまや秋篠宮さま、安倍首相らも参列。大東京の真ん中で、平成最後の新嘗祭が厳かに進んだ。

皇居の宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)=1990年9月(時事)

宮中祭祀に熱心な昭和天皇と現陛下

新年のお祈りや、春秋のお祭り、天皇の命日の例祭など、天皇家の恒例行事ともいうべき宮中祭祀は、天皇が国家と国民の安寧や繁栄を祈るためのものとされる。戦後、政教分離で皇室の行事となり、お手元金(皇室の私費)で行われてきた。陛下はとても宮中祭祀に熱心で、体調に問題がない限りほとんど出席されてきた。宮内庁によると、昨年(2017年)は24回出席されている。

陛下は1989年、即位に際しての記者会見で、「昭和天皇も宮中祭祀を大切に考えていらっしゃいました。その気持ちを受け継いでいきたいと思っております」と決意を述べられた。そして、退位の意向をにじませた2016年の「象徴としてのお務めについてのお言葉」の中で、「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ました――」と話された。

しかし、国民の宮中祭祀に対する理解はさほど高くない。読売新聞が11月28日朝刊に掲載した世論調査によると、陛下がこれまで取り組まれてきた活動で意義深いと国民側が評価したのは、①被災地訪問84%②国際親善のための外国訪問63%③戦没者慰霊56%――なのに対し、宮中祭祀は23%だった。「神道の行事」だと敬遠されがちで、映像などがあまり公開されず国民に分かりにくいためとみられる。13年、陛下の傘寿(80歳)を記念して、宮内庁から新嘗祭の一部の映像が初めて公開されたが、こうした動きが今後も広がることを期待したい。

摂政論議があった30年前の晩秋

昭和天皇が倒れられてから2か月が経過した30年前(1988年)の晩秋は、ご病状がさらに深刻となり、摂政を置くべきかどうかの議論が起きていた。11月後半に昭和天皇が、朝から眠っているのかお目覚めなのかわからない「傾眠」の状況が続くようになったからだ。皇室典範第16条2項の「摂政」設置要件の「天皇が、精神若しくは身体の重患により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」に該当する事態になってきた。

宮内庁の藤森昭一長官は同21日の記者会見で、「陛下がこのところ、お休みの時間が増えているのは事実だ」と認めた。そのうえで、「陛下は、お話しはあるし、ご意識がなくなってわけではないので、皇太子殿下(現陛下)に全面委任されている国事行為臨時代行を変更することはない」と、摂政設置をきっぱり否定した。

筆者は、長官がかなり苦しい説明をしているのが分かった。別の宮内庁幹部に本音を聞くと、こんな答えだった。「陛下のご病状は重く、今は明らかに摂政を置くべき状態ではある。しかし、この深刻な状態がさらに半年とか1年とか長期化するとは思えない。ならば、摂政を設けるためにあえて国会などで混乱を招くことは避けたい。今のままで行くしかない」。差し迫ったお代替わりと、間近になった新年行事との両方の準備を抱えて、摂政問題は棚上げにされたのだ。今回のご退位によるスケジュールができた代替わりとは違い、前回は先が予想できない毎日の連続だったのである。

昭和最後の新嘗祭に参列して

長官会見2日後の11月23日、昭和最後となった新嘗祭が行われた。筆者は宮内記者会の代表の一人として参列した。宮内庁から借りたモーニングコートの正装に着替え、午後7時、ご病状取材でごった返す記者クラブを離れ、バスで宮中三殿へ。わずか数分で、都心の真ん中とは思えない静かな暗闇の世界に入り込んでしまった。

菊のご紋の提灯を頼りに神嘉殿の庭に入ると、「夕の儀」が行われており、宮内庁楽師たちが奏でる荘厳な雅楽が流れていた。灯りは4か所のかがり火だけで、時折パチパチと音がもれる。竹下首相や、小渕官房長官ら閣僚、最高裁長官、宮内庁長官ら参列者が長く一列に並び、一人ずつ拝礼して下がっていった。昭和天皇はご病気で不在だが、2年前までは神嘉殿の中で古代の天皇と同じように感謝と祈りを捧げられていた。中の様子は全く見えなかったが、電気の灯りがない暗さが最高の演出であり、これほど神秘な儀式を体験したのは初めてだった。

儀式の後の直会(なおらい)で、神へのお供えとなる白酒(しろき)と黒酒(くろき)をいただいた。万葉集の歌にも登場する日本の古酒である。私見だが、白酒は白濁して甘酒のように見えるが甘さはなく、かなり発酵しているようで酸っぱい。甘くない甘酒とビールを足したような味だった。灰色の黒酒は、白酒に臭いのあるクサギという草を蒸し焼きにした灰を入れたもの。味は白酒より酸っぱさが抑えられ、飲みやすく感じた。

秋篠宮さまが一石を投じた「大嘗祭」発言

長い歴史を持つ新嘗祭は、明治時代に祝祭日となった。戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指令で皇室行事と切り離されて改称され、今の「勤労感謝の日」となった。新嘗祭がルーツであることを知らない日本人が増えている。

宮中祭祀は来年5月のお代替わりの後、新天皇にすべて継承され、即位後初めの新嘗祭は、特別に「大嘗祭」として同11月に行われる。この大嘗祭について秋篠宮さまが誕生日会見(2018年11月)で、「絶対にすべきではあるが、宗教色が強く、国費を使うのは適当か。できる範囲で、身の丈に合った儀式で行うのが本来の姿」と述べられた。

53歳の誕生日(11月30日)を前に開かれた記者会見に臨まれる秋篠宮さま=2018年11月22日、東京・元赤坂の秋篠宮邸(時事)

1990年の大嘗祭には国費22億5000万円が支出され、うち14億円をかけて皇居・東御苑に建てられた式場の大嘗宮は、儀式後18日間だけ一般公開され、取り壊された。また、招待された参列者900余名のうち、憲法の政教分離原則に反すると、国会野党議員や知事ら200余名が欠席。儀式が始まってもよく見えず、寒かったこともあり、当日出席者の約3割が終了前に退席していた。政府は来年の大嘗祭について、前回を踏襲し国費を使う方針で準備を進めている。

1990年の大嘗祭で、純白の祭服で悠紀殿に向かわれる天皇陛下(皇居・東御苑の大嘗宮)=1990年11月22日(時事)

秋篠宮さまは行事を簡素化して支出を抑え、できるだけ国民の負担にならないように、と言われたかったのかもしれない。来年5月には皇位継承順位第1位の「皇嗣」となられる秋篠宮さまの「宮内庁長官は私の話に聞く耳を持たなかった」という異例の発言は、各方面に一石を投じた。

皇太子妃雅子さまが宮中祭祀にあまりお出にならないことが、取り沙汰されることもあった。外国生活が長かった雅子さまにとっては宮中祭祀に慣れないこともあり、新皇后になって過度な負担にならないように、そして宮中祭祀に臨まれることが増えていくよう祈りたい。

(2018年12月3日 記)

バナー写真:2013年に皇居・神嘉殿で営まれた新嘗祭(夕の儀) 出典:宮内庁ホームページ

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