日本の刑事司法を問う

本格化する取り調べの可視化 まだまだ再考の余地あり

社会

江川 紹子 【Profile】

刑事司法は2019年、いよいよ本格的な取り調べの可視化時代に入る。16年に行われた刑事訴訟法の大幅改正で、検察官手持ち証拠のリストの開示や、他人の事件の捜査・公判への協力と引き換えに、自分の事件については免責もしくは軽い処分にしてもらう日本版司法取引などが順次始まってきた。改正法はその行程表の締めくくりとして、19年6月末までに取り調べの全課程の録音録画を行うよう捜査機関に義務付けている。

可視化の問題でクローズアップされる今市事件

この2つの問題がクローズアップされたのが、「今市事件」だ。

2005年12月、栃木県今市市(現・日光市)の小学校1年生の女の子が殺害され、茨城県の山中で遺体が発見された。捜査は難航。その上、発生から2年近く経ってから、遺体の複数箇所に付着した男性のDNAが、実は捜査員のものであることが分かるなど、捜査の不手際も発覚した。

そして14年1月、32歳の男性が偽ブランド商品を売っていたとして、母親と共に商標法違反容疑で逮捕された。警察は、この最初の逮捕の時から彼を本件の容疑者と見ていたようだ。偽ブランド事件が起訴された後も男性の勾留は続き、女児殺害の取り調べが行われた。

捜査機関は、起訴後の勾留をされた者の取り調べについては、”任意”の捜査となり、改正法の施行後も録音録画は義務付られておらず、行うかどうかは捜査側が自由に決められる、としている。任意捜査だから、被疑者には応じる義務はなく、警察の留置場に勾留されていても、出房を拒むことができる。しかし実際には、勾留中の被疑者にとっては、在宅での取り調べ以上に拒否するのは容易ではない。

本件では、商標法違反で起訴された当日の14年2月18日から、”任意”の取り調べが行われている。最初の録音録画は、同日午後の検事調べ。しかし、男性が最初に自白したとされる同日午前の取り調べについては、録音録画がされていない。警察段階でも、合計21日間85時間に及ぶ、厳しい”任意”の取り調べが行われているが、これについては全く録音録画がなされていない。こうした取り調べでの自白を経て、男性は同年6月3日に本件の殺人容疑で逮捕された。

裁判員裁判の判決に大きな影響与えた映像

一審の宇都宮地裁では、全ての録音録画の中から、検察・弁護人が求めた7時間13分が法廷で再生された。その中には、「ごまかすなよ。ひきょうだろう」と語気荒く迫る検事の取り調べに耐えかねた男性が、「もう無理、もう無理」と叫んで窓に突進し、飛び降り自殺を図った場面もあったが、逮捕後に別の検事が「殺したのは君だね」と穏やかに尋ねたのに「はい」と答え、身振り手振りを交えて殺害の様子を語る場面もあった。

法廷では否認している男性が、捜査段階で自白している場面を映像と音声で見聞きした影響は、やはり大きかった。それは、男性を有罪とした判決からも読み取れる。

〈殺人について聞かれた当初の被告人の激しく動揺した様子や、その後、否認もせず詳細も述べず、気持ちの整理のための時間がほしいなどと述べる供述態度は、本件殺人に全く関与していない者があらぬ疑いをかけられたとしては、極めて不自然なもの〉

〈処罰の重さに対する怖れから自白すべきか否かについて逡巡、葛藤している様子がうかがえる〉

判決言い渡し後、記者会見に応じた裁判員からも、「決定的な証拠がなかったが、録音・録画で判断が決まった」「状況証拠のみだったら判断できなかった」などと、映像の視聴が判決に大きな影響を与えたことを認めた。

検察、裁判所は可視化の本来の目的に立ち返るべきだ

これに対し、2018年8月3日に出された東京高裁の控訴審判決は、一審で映像を再生し、取り調べの状況から自白調書の信用性を判断しようとした裁判所の訴訟指揮に、強く疑問を呈した。判決が映像を利用して、被告人が犯人と推認した点についても批判。映像と音声で取り調べ中の被告人の様子を見聞きすることで、「印象に基づく直観的な判断」になってしまい、冷静な熟慮を阻害する懸念がある、と警告した。

この控訴審判決は、供述の信用性などの判断は問題がある一方、取り調べ映像の利用の仕方に関する判断は適切なものと言えよう。

これを契機に、検察側が録音録画記録の利用について再考し、裁判所も法廷での再生に慎重になることを望みたい。可視化は、取り調べが適正に行われ、供述の任意性の判断が適確に行えるように導入したもので、映像記録の活用は、その本来の目的に立ちかえるべきだ。

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ジャーナリスト。1958年、東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。1982〜87年まで神奈川新聞社に勤務。警察・裁判取材や連載企画などを担当した後、29歳で独立。1989年から本格的にオウム真理教についての取材を開始。著書に『オウム真理教追跡2200日』(文藝春秋、 1995年)、『名張毒ブドウ酒殺人事件——六人目の犠牲者 』(岩波現代文庫、2011年)等。 1995年に一連のオウム事件をめぐる報道で菊池寛賞受賞。行刑改革会議、検察の在り方検討会議の各委員を経験。個人blogは「江川紹子のあれやこれや」がある。

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