日本の刑事司法を問う

本格化する取り調べの可視化 まだまだ再考の余地あり

社会

江川 紹子 【Profile】

刑事司法は2019年、いよいよ本格的な取り調べの可視化時代に入る。16年に行われた刑事訴訟法の大幅改正で、検察官手持ち証拠のリストの開示や、他人の事件の捜査・公判への協力と引き換えに、自分の事件については免責もしくは軽い処分にしてもらう日本版司法取引などが順次始まってきた。改正法はその行程表の締めくくりとして、19年6月末までに取り調べの全課程の録音録画を行うよう捜査機関に義務付けている。

可視化義務付けは刑事事件全体の2-3%程度

もっとも、すべての事件、すべての取り調べが対象になったわけではない。

可視化を義務付けるのは、殺人、危険運転致死、現住建造物放火、身代金目的誘拐、保護者責任遺棄致死など裁判員裁判対象事件と、検察の独自捜査事件に限られる。数の上では全体の2、3%程度。本来は全ての取り調べを可視化すべきと考える立場からすると、やや物足りない。とはいえ、こうした事件は被害が深刻だったり、刑罰が重かったり、社会的な影響も大きく、人々の関心を集める重大事件であることが多い。当然、捜査機関にとっても重要な事件だ。そういう事件から可視化を始め、いずれは対象を広げていくと考えたい。

法律による義務付けは2019年だが、実際には多くのケースで可視化はすでに実施されている。警察庁が18年6月に発表した資料によれば、対象事件3197件のうち、96.2%で取り調べの録音録画が行われ、1事件あたりの録音録画実施回数は13.0回、時間にして24時間41分に及ぶ。5年前には、1事件あたりの実施回数はわずか1.6回、時間にして44分であり、録音録画の回数や時間は飛躍的に増えた。しかも、対象事件の8割以上で、取り調べの全課程の録音録画が行われている。

どのような取り調べで供述したか、そのプロセスが大事

可視化は、取り調べや供述の経緯を後から検証可能な状態にすることで、無理な取り調べや違法な取り引きが行われるのを防いだり、違法な取り調べがあった場合に、裁判所が映像記録を参考に供述の任意性を適切に判断できるようにすることに意味がある。この目的を達するには、取り調べの終盤、すでに供述が固まった段階だけ記録するのでは、意味がない。これまでの冤罪でも、無理な取り調べで虚偽の”自白”を強いられ、この虚偽自白が完全に出来上がってから、それを述べる様子を録音されているケースがあった。このような形で録音録画をしても、むしろ冤罪を生む原因になってしまう。どのような取り調べによって、どのような供述が行われたのか、そのプロセスが大事だ。

警察は以前、取り調べの全過程を録音録画することには強硬に反対していた。その警察が8割以上の事件で全課程の録音録画を行うようになったのは、すでに法改正の効果がかなり出ていると言えよう。

とはいえ、可視化の仕組みに問題がないわけではない。

取り調べ映像は実質証拠ではなく補助証拠であるべきだ

1つは、可視化されるのは身柄を逮捕された段階からで、在宅での任意の取り調べは対象外という点だ。逮捕されていなければ、法的には”任意”とされるが、現実には取り調べを受ける側が断ったり、自由に退出できる状況ではないことが多い。

連日のように”任意”の名の下で強制に近い取り調べを受け、犯人と決めつけた追及に抗しきれず、虚偽の自白に追い込まれ、その結果逮捕され、誤った有罪判決を受けた、という前例はいくらもある。それどころか、数時間の"任意”取り調べで虚偽自白に追い込まれたケースも少なくない。その場合、逮捕前の録音録画がされていないと、否認から自白に転じた最も重要な場面が、適正な取り調べだったのか確認できない。

もう1つは、録音録画された記録を、裁判でどのように使うか、という問題だ。本来は、取り調べが適正に行われたかどうかをチェックし、捜査段階の供述に任意性があるかどうかを判断する補助証拠として使われるはずの映像記録を、調書の信用性を判断する際に利用したり、さらに進めて、調書の代わりに実質証拠としても利用し、犯罪事実の立証に使いたいという考えが検察側にはある。客観的な証拠が少ない事件では、取り調べ映像が有罪立証の有力な武器になるからだ。実際に最高検は、取り調べを録音録画した映像記録を実質的な証拠として活用することを促す通達を、全国の検察庁に出している。

裁判所が、取り調べ映像を証拠として採用するケースも少なくない。最高裁によれば、2016年5月初めから18年5月末までのほぼ2年間に全国の地裁で終結した裁判で、取り調べ映像を法廷で再生する請求が325件あり、うち181件が認められた。

ただ、映像と音声の影響力は絶大である。文字で書かれた調書とは比べものにならない。しかも、映像は主に被疑者の様子を捉えるカメラアングルで撮影されており、裁判員らは取調官目線で取り調べ時の被疑者(裁判での被告人)を見ることになる。そのため、被告人が自白している場面の映像を見ることで、裁判官や裁判員らが有罪の心証を抱きやすい。本来は様々な証拠を慎重に吟味し、供述調書の信用性や犯罪事実の成否を判断すべきなのに、映像記録が与える印象で有罪無罪が決まってしまう懸念が指摘されている。

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江川 紹子EGAWA Shōko経歴・執筆一覧を見る

ジャーナリスト。1958年、東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒。1982〜87年まで神奈川新聞社に勤務。警察・裁判取材や連載企画などを担当した後、29歳で独立。1989年から本格的にオウム真理教についての取材を開始。著書に『オウム真理教追跡2200日』(文藝春秋、 1995年)、『名張毒ブドウ酒殺人事件——六人目の犠牲者 』(岩波現代文庫、2011年)等。 1995年に一連のオウム事件をめぐる報道で菊池寛賞受賞。行刑改革会議、検察の在り方検討会議の各委員を経験。個人blogは「江川紹子のあれやこれや」がある。

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