返還50年、小笠原諸島の今昔物語

小笠原諸島の近現代史—国家に翻弄された移住民の島々

社会

石原 俊 【Profile】

世界自然遺産として関心を集める小笠原諸島。だが、日本と米国の間で翻弄(ほんろう)された島民たちの多大な犠牲を知る人は少ない。欧米系など多様な人々が入植した19世紀、日本統治から敗戦、米国統治、そして返還から今日に至るまでの複雑な歴史をたどる。

日米軍総力戦の前線=島民は「難民化」

1920年代に入ると、米国を仮想敵国とする日本陸軍の要塞(ようさい)司令部が父島に設置され、小笠原諸島の軍事化が始まった。硫黄島でも32年、海軍の硫黄島飛行場が着工された。

そして第2次大戦末期の44年、南洋群島(ミクロネシア)に米軍が侵攻すると、日本軍は硫黄列島を含む小笠原諸島に住んでいた非戦闘員約8000人のうち、約7000人を本土に強制疎開させた。彼らは、携行を認められたわずかな荷物を除いて、島で築いてきた財産と生業(なりわい)・生活の全てを放棄させられ、事実上難民化したのである。

他方で、16歳から60歳までの男性の大多数が、強制疎開の対象から除外され、島で軍属として徴用された。45年2月、米海兵隊は硫黄島に対する上陸作戦を開始する。この時点で103名の硫黄島民が軍属として残留していた。硫黄島の地上戦における日本軍側の死者・行方不明者数は、厚生労働省の調査によれば約2万2000名であり、米軍側の死者は約6800名であったとされている。地上戦に動員された硫黄島民のうち、生存者はわずか10名であった。

日本帝国はその敗北の過程で、小笠原諸島を本土防衛の前線として扱うことで、島民に大きな犠牲を強いたのである。

冷戦下、日本復興の踏み台として

日本の敗戦後、硫黄列島を含む小笠原諸島は、米海軍の直接占領下に置かれた。1946年、米国は日本領有以前から小笠原諸島に居住していた先住者の子孫とその家族(「欧米系」島民)に限って父島での再居住を許可し、これに応じた約130名が帰島を果たした。

51年、東アジアの冷戦が激化するなか、サンフランシスコ講和条約が締結された。講和条約は第3条で、奄美や沖縄などとともに硫黄列島を含む小笠原諸島が米国の施政権下に置かれることに、日本が同意すると定めていた。日本は小笠原諸島を米国の軍事利用に提供することによって、独立回復を果たしたのである。

父島へ帰島していた「欧米系」島民は、米海軍施設の従業員として雇用され、とりあえず生活を保障された。一方で米国は、父島や硫黄島に秘密裏に核弾頭を配備していく。

他方、帰島を認められなかった大多数の小笠原諸島民は、帰島や補償を求めて運動を展開した。だが、多くの島民が生業の基盤のない本土で貧困にあえぎ、自殺や一家心中、困窮死が続発した。小笠原諸島民は、冷戦下における日本の復興の踏み台とされたのである。

68年、小笠原諸島の施政権が日本に返還され、父島からは米海軍が撤退し、四半世紀近くも帰還が許されなかった小笠原諸島民にも、ようやく父島・母島での再居住が認められた。他方で日本政府は、米空軍が撤退した硫黄島に直ちに自衛隊を駐屯させ始めた。そして政府は、北硫黄島を含む硫黄列島全域を復興計画から除外し、島民の再居住を事実上阻んでしまった。

84年、国土庁(現・国土交通省)の諮問機関である小笠原諸島振興審議会は、「火山活動」や「不発弾の存在」などを理由として、硫黄島での民間人の居住は困難であるとの答申を出す。さらに91年、日米両政府は、米海軍横須賀基地を母港とする空母艦載機の陸上離着陸訓練(FCLP)の大部分を、神奈川県の厚木飛行場から自衛隊硫黄島飛行場に移転したのである。

世界自然遺産登録の背景にある「犠牲」

小笠原諸島の経済的中心である父島は1990年代以後、日本におけるエコツーリズムの最先進地域となった。そして2011年、小笠原諸島は世界自然遺産に登録される。動植物の固有種が数多く存在し、それがよく保全されていることが、世界遺産登録の理由であった。

だが小笠原諸島の世界遺産登録の背景には、冷戦下における秘密軍事基地化と島民の難民化という、多大な人間的犠牲が存在している。米軍が父島の海軍施設周辺以外の開発を行わず、島の自然環境を放置した結果、父島や母島の生態系が損なわれなかったからである。そして、強制疎開から74年を経ても、硫黄列島民の帰還の見込みは全く立っていない。

全ての住民が移住民とその子孫である小笠原諸島は、アジア太平洋の近現代史のなかで、国家によって激しく翻弄(ほんろう)されてきた島々である。施政権返還50周年を機に、小笠原諸島の特異で複雑な歴史経験が、日本そして世界の人々に広く共有されるべきである。

(2018年6月 記)

バナー写真:1968年6月27日、島民が見送る中、米海軍LST(戦車揚陸艦)に乗って引き揚げる米軍関係者(東京・小笠原村の父島)

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石原 俊ISHIHARA Shun経歴・執筆一覧を見る

明治学院大学社会学部教授。専門は、歴史社会学・島嶼社会論。1974年、京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科(社会学専修)博士後期課程修了。博士(文学)。千葉大学大学院人文社会科学研究科助教、明治学院大学社会学部准教授、カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員研究員などを経て、2017年4月より現職。著書に『近代日本と小笠原諸島―移動民の島々と帝国』(平凡社、2007年:第7回日本社会学会奨励賞受賞)、『〈群島〉の歴史社会学―小笠原諸島・硫黄島、日本・アメリカ、そして太平洋世界』(弘文堂、2013年)、『群島と大学―冷戦ガラパゴスを超えて』(共和国、2017年)など。

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